2019年の全米オープンを制したゲーリー・ウッドランドの手には、かつて隆盛を誇ったクラブメーカー・ウイルソンのアイアンが握られていた。ギアライター・高梨祥明がウイルソンゴルフの歴史をひもとくと……「ゴルフの道具」にはなにが一番必要かが見えてきた!?

古くて、最も革新的なゴルフブランドがウイルソン。

ウイルソンゴルフと聞くと、個人的にはアイデア満載の“発明型”ゴルフブランドというイメージが湧いてくる。

マグレガー、スポルディングと並ぶ1980年代まで隆盛を極めた米国3大ゴルフブランドの一角だが、その製品作りを見る限り、最も挑戦的で独創的なメーカーだったことは間違いないだろうと思う。その常に新しい技術を追い求める企業風土について、長く中枢で数々の名器を世に送り出してきたエンジニア、ロバート(ボブ)・マンドレラ・シニア氏はこう述懐してくれたことがある。

「昔はね、今のようにコンピュータなどはなかった。でも、我々は多くのスタッフプレーヤーとともに、あらゆるトライを繰り返していたんだ。ボアスルーネック? ウイルソンではそれを“ドリルド・ホーゼル”と呼んでいた。最初にこの技術を使ったのは1956年のダイナパワーさ。ウエイトスクリューが着脱できるアイデアも60年代にはやっていた。今、最新と呼ばれている他ブランドのアイデアを見ているとどこか懐かしく思えるんだ。なぜか? それらのほとんどを過去にテストしたことがあるからさ」(2004年シカゴにてインタビュー)

画像: バンカー専用のお助けクラブ、サンドウェッジは1933年に発売された「ウイルソンジーン・サラゼン・サンドアイアン」がその始まり。写真はその復刻版。

バンカー専用のお助けクラブ、サンドウェッジは1933年に発売された「ウイルソンジーン・サラゼン・サンドアイアン」がその始まり。写真はその復刻版。

ウイルソンが産み出したアイデアゴルフクラブといえば、まずはサンドウェッジである。1930年初めにボンバーアイアンというその原型となるモデルを発売しているが、有名なのは33年に登場した「ウイルソン ジーン・サラゼン・サンドアイアン」だ。これがソールに意図してバウンス角をつけた最初のモデルといわれている。

バウンス角をつけるだけでなく、R-90、R-20などとソールのトゥ・ヒール方向へのアール(丸み)を変えたモデルを揃え、インパクトでの接地面積を変えることでバウンスリアクションをプレースタイルやプレー環境に応じて選べるようにしていた。

現在、タイトリストのボーケンデザインウェッジを筆頭に多くのウェッジブランドで、ソールグラインド(形状)を選べるようにしているが、ウイルソンは30年代にこれと類する考え方で、ウェッジを開発、販売していたわけだ。こうしたことがマンドレラ氏の「最新技術はどこか懐かしい」という感想につながってくるわけである。

アイアンにこそ息づく、老舗ゴルフメーカーのプライド。

様々な独創アイデアをもって、ゴルフクラブ開発をリードしてきたウイルソンだが、90年代に入ると急速に力を失っていく。キャロウェイ、テーラーメイドという、いわゆるメタルウッドカンパニーが市場を席巻する“飛び道具の時代”に突入したためだ。

画像: 大きくトゥ・ヒールに弧を描いた「ジーン・サラゼン・サンドアイアン」のソール。砂の爆発をこの弧の大きさで調整していた(平らなソールほどリアクション大)

大きくトゥ・ヒールに弧を描いた「ジーン・サラゼン・サンドアイアン」のソール。砂の爆発をこの弧の大きさで調整していた(平らなソールほどリアクション大)

ウイルソン、マグレガー、スポルディングが隆盛だった時代は、ウッドクラブは文字通り“木製ヘッド”だった。そのなかでもウイルソンはいち早くラミネートウッド(ストラタブロック/合板)に着目し、ドライバーやフェアウェイウッドにこれを採用した。それは丸太からヘッドを削り出す従来方式より、合板の方が素材を均一化でき、精度高く、丈夫で、同じ品質のものを供給できるからである。しかし、そうしたアイデアも、メタルヘッドの台頭、そして大型チタンヘッド開発という、飛距離戦争の荒波に飲み込まれてしまう。1920年代に創業した老舗ウイルソンゴルフも、この分野においては新参者となり、80年前後に産声を上げた新興勢力を追いかけることになってしまったのである。

誤解を恐れずいうならば、80年代までゴルフクラブ開発の中心はアイアン、ウェッジ、そしてパターというスコアメイク系の道具だった。とくにウイルソンはその三種に滅法強く、多くのスタッフプレーヤーを抱え、それぞれのパーソナルモデル(とくにアイアン)を供給することで、多くの勝利に貢献していたわけである。

2019年、全米オープン。ゲーリー・ウッドランドの使用用具は次の通りである。

ドライバー:ピン G410プラス
3番ウッド:ピン G410LST
3I〜PW:ウイルソン スタッフモデルブレード
ウェッジ:タイトリスト ボーケイSM7(52度、58度)、テーラーメイド ハイトウ(64度)
パター:スコッティキャメロン プロトタイプ
ボール:タイトリスト プロV1

ウイルソン製は、やはりアイアンのみであった。逆にいえばこのアイアンにこそ、老舗ブランドのノウハウと経験が今も息づいているのかもしれないと思う。ここでまた古いインタビューの記憶が蘇る。

マンドレラ氏がインタビュー終わりに、一旦デスクに戻ってわざわざ持ってきてくれたものがあった。それは、ビリー・キャスパー、アーノルド・パーマー、ジーン・サラゼンなどゴルフ史に名を刻む名手たちが好んだアイアンの形状(プロファイル/顔)をテンプレートにしたものだった。選手ごとに1番アイアンからSWまでを重ね、封筒に入れて大切に保管してきたのだという。

画像: キテレツ系で有名なファットシャフト。しかし、これもカーボンシャフトのトルクを抑え、方向安定性を高めるための工夫。スコアメイクを考えてのものだ。

キテレツ系で有名なファットシャフト。しかし、これもカーボンシャフトのトルクを抑え、方向安定性を高めるための工夫。スコアメイクを考えてのものだ。

「今は3D CADでヘッドをデザインするが、この選手ごとのテンプレートが私にとってのコンピュータなんだ。どんなに進化したバックフェースデザインだろうが、構えたときにこの顔でなければ選手は決して使ってはくれないからね」(マンドレラ氏)

ゴルフ道具作りの本質は、ゴルファー一人ひとりに“カスタマイズすること”とマンドレラ氏はいっていた。それがウイルソンスタッフというブランドそのものだと。しかも、そのカスタマイズは最大飛距離を達成するためにするものではない。一打でもいいスコアで上がるために我々はアイデアを提供しなければならないのだといっていた。

1922年にウイルソンがジーン・サラゼンとアドバイザリー契約を結んだのをきっかけとして、ゴルフメーカーとプロゴルファーとの用具契約が一般化したとされる。ウイルソンは90年代に入ってもペイン・スチュワート、ベルンハルト・ランガー、ビジェイ・シンなど、契約プレーヤーたちのパーソナルアイアンを作り続けていた。選手ごとにスコアリング系のクラブをカスタマイズして提供する。それが選手にとっても、メーカーと契約する大きな理由であっただろうと思う。

飛ぶクラブにフォーカスすれば、すでに終わってしまったブランドのように見えてしまうウイルソンゴルフだが、アイアンにはまだまだ往年の光が宿っている。そのことを今回のウッドランドの全米勝利で確認できたようで嬉しかった。

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