大人たちが子どもを育てる
ジュニアゴルファー育成の催しにときどき足を運びます。しかしジュニアの公式戦にはどうも足が向きません。プロにしよう・なろうの親子たちの、呆れた光景に出会った時の後遺症がまだ治っていないからのようです。
木陰から禁じられているケイタイでだれかに刻々と報告していた母親、バッグ置き場で「こんなスコアしか出せんなら、もうやめちゃえ」と叱っていた父親、そしてクルマの去った駐車場に点在していたコンビニ弁当のゴミ。
入口も道も間違えているこうした親の子は、スコアをいくら縮めても目指す世界へ登れないでしょう。スコアメイクはもちろんだいじです。ただゴルフ規則第一章エチケットの理解・修得から教わっていない者のゴルフはいずれ正体がばれます。スコアメイクの前にやること。この順序がジュニアにはだいじです。
マッセルバラ・オールドコースを訪ねた時の同伴競技者を思い出します。ここは競馬場コースの九ホールです。私たち夫婦は十歳前後の孫のような二人の少年と組み合わせになりました。
イングランドの子どもに比べるとかなり田舎の子といった感じで、表情や社交性に乏しい子たちでした。トスもなしに私たちの先にティアップするのには驚きましたが、それは距離の出ないキッズ・ファーストの習慣のようでした。
少年たちの一生懸命なプレーぶりには目を見張りました。競技会のように真剣なのです。とくに見とれたのはアプローチとパッティングの真剣さです。ここでのスコアの取りこぼしは絶対許せないという表情です。うまくいってスコアカードに数字を書きこむ時は口元に笑いを堪えているのがありありの顔ですが、取りこぼしをした時は口惜しくてならない泣き顔です。
彼らのゴルフはまさにスコアメイクのゴルフでした。しかし彼らは、私たちのプレーにも一生懸命で、ショットをよく見ていて、深いラフに隠れたボールを簡単に見つけてくれました。彼らは親から教わったとおり、グリーンに乗っているいないにかかわらず遠球先打で、打順をきちっと守り、私たちを待たすことはありませんでした。
二回り十八ホールを終えると、彼らのほうから帽子を取って握手の手を差し伸べ、短く礼を言いました。顔には相変わらず愛想が足りませんでしたが、アイコンタクトの瞳は輝いていました。
彼らはスコアの足し算をして書きこむと、おずおずとキャディマスター室に入り、厳めしい顔のマスター兼プロにスコアカードを見せました。プロはスコアを丁寧に見てから彼らを見下ろし「一生懸命やったか」と尋ね、二人は声を揃えて「一生懸命やりました」と答えました。大人の代表は相変わらずニコリともせずに「グッド」と判を捺すような一言。少年たちはスコアカードを返してもらい、礼を言って帰って行きました。こうしてやがて彼らは新しいハンディキャップをもらうのです。
この町では大人たちが子どもたちを育てている。そのことを目のあたりにしました。私の子ども時代、日本もこうでした。
「脱俗のゴルフ 続・ゴルファーのスピリット」(ゴルフダイジェスト新書)より