ステイホーム週間が始まった。繁華街や観光地の喧騒は消え、当たり前だった日常は遥か彼方に去っ
てしまったかのよう。それでもカレンダーは進みもうすぐ母の日がやってくる。15歳のとき最愛の母を乳ガンで失ったモーガン・プレッセルにとっては悲しい日。だが新たな決意を生む日でもある。

10億円の寄付を集めて乳がん撲滅に貢献

プレッセルの出身地フロリダ州ボカラトンを中心としたフロリダ州南部にはゴルフウェア姿の本人が描かれ「マンモバン」と大きな文字が躍るピンクの大型の車両が走っている。

彼女はプロデビュー直後から毎年1月にチャリティイベントを地元で行い、これまで950万ドル、
およそ10億円の寄付を集めてきた。これらの募金はモーガン・プレッセル・がん遺伝学センター設立と病気との闘いを支援するモバイルラボに提供されてきた。

「マンモバン」もその成果のひとつ。町の診療所そのままが再現された移動乳がん検診車で、これまで検査を受けたことがなかったという50代のご婦人が体験しうれし涙を流したというエピソードも。

画像: 「母の強さを受け継いでる」と語るモーガン・プレッセル(写真は2016年の全米女子オープン 撮影/南しずか)

「母の強さを受け継いでる」と語るモーガン・プレッセル(写真は2016年の全米女子オープン 撮影/南しずか)

宮里藍と同じ年(2006年)にLPGAツアーデビューを果たしたプレッセルはメジャー1勝を含むツアー2勝を挙げている人気プロ。勝気で明るい性格だが彼女が背負っているものは重かった。39歳の若さで母キャスリンさんが還らぬ人となったのは16年前。以来「母のことを考えない日はない」と彼女はいう。

母が乳がんで亡くなったことが彼女に「こんな思いをするのは私だけでいい。ひとりでも多くの女性が検査を受け早期にがんを発見しその数を減らして欲しい」という強い思いを芽生えさせ、自ら基金を立ち上げチャリティ活動に励んできた。

「周りの人は皆、母と私がよく似ているといいます。病気でも気丈に振る舞い勇敢な顔をした強い人でした。苦しくても負けない。常に一生懸命。母の強さを私は受け継いでいるのかもしれません」

デビュー当時、ツアーには親代わりの祖父母が同行し彼女を見守っていた。アマチュアのときに全米女子オープンであわや優勝(結果は2位タイ)の好プレーをしながら「(優勝が)なんで私じゃなかったの?」と会見場で感情をむき出しにして泣きじゃくった姿が思い出される。

画像: ポーラ・クリーマーもプレッセルのチャリティに協力しているという(写真は2016年のTOTOジャパンクラシック 撮影/姉崎正)

ポーラ・クリーマーもプレッセルのチャリティに協力しているという(写真は2016年のTOTOジャパンクラシック 撮影/姉崎正)

ライバルでありチャリティにも協力しているポーラ・クリーマーはいう。「彼女はプロゴルファーとしてだけでなく、コースを離れたところで本当に素晴らしいことをしている。その姿は感動的ですらあります」

世界ランク7位のブルック・ヘンダーソンはこう付け加える。「悲しい思いをバネに信じられないほどの社会貢献をしている。彼女は多くの女性の命を救っているのです」

ゴルフが上手いだけがプロではない。人となりであり行動が伴ってこそはじめてプロフェッショナルになる。

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