“スウィングを直さなきゃ上手くならない”といわれたけど聞く耳を持たなかった
デーリーがはじめてクラブを握ったのは4歳のとき。普通なら最初はプラスチックのクラブや子供用にクラブを使うところだがデーリーは違った。
「最初から男性用の普通のクラブを持たされたんだよ。その頃から力が強かったわけじゃなかった。
自分にとってはシャフトがめちゃくちゃ長くて苦労したさ。持ち上げたクラブをドスンと落とすしかなかった。高く担ぎあげないと打てないから自然とバックスウィングが大きくなった。それが一番楽な方法だったんだ」
以来誰にもスウィングを直されることなく右わきを大きく空けてヒジを浮かせクラブを担ぎ上げる個性的なスウィングを貫き通した。
「15歳か16歳ではじめてコーチについたんだけどそのときもバックスウィングはいじらなかった。周りの大人は“そのスウィングを直さなきゃ絶対上手くならない”といわれたけど聞く耳を持たなかったね。トップでヘッドが視界に入ったタイミングで切り返す。それがオレのスタイル。変えることなんてできないさ」
周囲には“上手くなれない”と断定されたが1987年にプロ入り。91年にPGAツアー昇格を果たすとその年の全米プロゴルフ選手権で当時最強の名を欲しいままにしていたニック・プライスが妻の出産に立ち会うため急遽出場を見合わせたことで補欠の彼に繰り上がりでメジャー初出場のチャンスが訪れる。
そのときキャディを務めたのがプライスの専属キャディ、故ジェフ・メイデン氏。スクイーキー(キーキー鳴くの意味)の愛称で親しまれた名物キャディだが97年白血病のため43歳の若さで命を閉じている。彼は生前こう証言していた。
「試合前デーリーが憧れの人ファジー・ゼラーに声をかけられたんです。“頑張ってるな”って。そしたらデーリー、すごくうれしそうで……。そのときの瞳の輝きが、プライスが優勝争いをしるときと同じだった。あ、今週彼が勝つなって直感しました」
メイデン氏の勘は的中。デーリーは24歳にしてメジャーデビュー戦でチャンピオンに輝いたのだ。もちろんそのスウィングは4歳のときから本人いわく「これっぽちも変わっていないぜ!」。
90年代唯一300ヤードを飛ばしていたデーリー。そのルーツは4歳のときに貰った大人用のクラブにあった。