1992年にプロテスト合格を果たし、翌93年から今日に至るまで、国内男子ツアーで活躍を続けるベテランプロ、藤田寛之。長くプロゴルファー人生を歩んできた藤田に、普段はなかなか聞けない過去のエピソードを語ってもらった。

「怒ってもスコアは戻ってこない」(藤田)

――藤田プロと言えば試合中も常に冷静沈着という印象ですが、それは昔から?

藤田寛之(以下藤田):昔からそうですね。(思考が)インにインに入っていくタイプなので。チーム芹澤のネクラです(笑)。

――プレー中に怒ったことってないんですか?

藤田:それが意外に、怒るんですよ。今ではイライラしても自分の中にしまうようになったんですが、昔は見えないところでクラブを叩きつけたりしてしまっていました。(師匠の)芹澤信雄プロにも「あんまり良くないよ」と指摘されていたんですけど、ある出来事があってもうやめにしようと思ったんです。

画像: 1993年から今日まで、国内男子ツアーの最前線で戦ってきた藤田寛之

1993年から今日まで、国内男子ツアーの最前線で戦ってきた藤田寛之

――その出来事とは?

藤田:だいぶ前かなもう。30代前半くらいのときに、あるトーナメントで短いパットを外したんです。その日は全然(パットが)入らなくてイライラしていて。パットが終わったあと、グリーンサイドに置いてあったキャディバッグに向かって、持っていたパターを投げてしまったんです。そうしたらその先にいたギャラリーさんの足元までパターが飛んで行ってしまって。幸い、誰にも当たることはなかったんですが、そのときにパットを外してイライラしていた心が急に冷静になって、“これはやっちゃダメだ”と。それからは怒りを自分の中にしまうようになりました。

――プレーが上手くいかずにイライラしてしまうアマチュアの方も多いと思います。自分を制するためのコツってなにかあるんでしょうか?

藤田:まず、当然ですが起こってしまったことはもうどうしようもないんです。だからそれに気を取られるよりも「次のショットでベストを尽くそう」と気持ちをスパッと切り替える。それしかないと思います。ホールアウト後も「あのときこうしていれば」と引きずらずに次(の試合)に注力することです。

――怒りをコントロールすることで、スコアにも影響はありましたか?

藤田:僕自身、怒りを表に出さなくなっただけで、怒りをコントロールすることはできていないのかもしれません。でも、怒ってもスコアは戻ってこないし、そんな精神状態のままプレーしていてもその先に良いプレーは出てこないですから。

賛否が分かれた2002年「全日空オープン」最終日17番ホールのセカンドショット

――藤田プロももうすぐツアープロ歴30周年の大台に乗ります。

藤田:言われて、あぁそうなんだ、って思いました。1992年にプロテストに合格して、93年からツアーへの参戦ですから……長いことやりましたね。

――長いプロ生活の中で「後悔するショット」ってありますか?

藤田:悔いの残る一打っていうのはないですね。もちろんミスも多いですけど、プロ入りしてから今まで気の抜いたショットは1球も打ったことはないですから。気持ちの入ったショットでミスしたら、もうしょうがないじゃないですか。でも、結果的に賛否両論が巻き起こった一打というのはありましたね。

――それは?

藤田:2002年の「全日空オープン」(現在の大会名は「ANAオープン」)の最終日、17番ホールでのとある一打です。この大会ではジャンボ尾崎さん(尾崎将司プロの愛称)と優勝争いをしていまして。自分が単独首位でジャンボさんに追いかけられる形で、16番ホールでジャンボさんがバーディを獲り、スコアが並んだんです。そして、続く17番ホールでジャンボさんが右のラフに入れたんです。しかもただのラフじゃなくて、ほぼ木の根っこくらいにボールが位置している、かなりシビアな状況。「アレは打てない」というところから、ジャンボさんはアイアンのシャフトを折りながらのスーパーショットでフェアウェイの問題ないところまで出してきたんですよ。

画像: 2002年の全日空オープン最終日、藤田は尾崎将司と優勝争いを繰り広げる。その渦中、17番ホールのとあるショットが「賛否ともにいろんな声をいただいて、印象に残っています」と藤田は言う

2002年の全日空オープン最終日、藤田は尾崎将司と優勝争いを繰り広げる。その渦中、17番ホールのとあるショットが「賛否ともにいろんな声をいただいて、印象に残っています」と藤田は言う

――有名な一打ですよね。

藤田:一方、自分は良いドライバーショットが打てて、フェアウェイのど真ん中からの2打目でした。ここからが賛否のある件のショットなんですけど、自分は札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの17番ホールの名物、林越えのショットを狙ったんですよ。これが、結果的にはトップしてしまって林に入り、そのホールはボギー。このホールで勝敗が分かれ、優勝を逃してしまったんです。当時も「なんで(林越えを)狙ったんだ」って結構言われましたね。

画像: 札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの17番パー5は、残り134ヤード地点からほぼ直角に曲がる左ドッグレッグホール。高くそびえ立つ林を越えることができればショートカットできるが、もちろんリスクも伴う

札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの17番パー5は、残り134ヤード地点からほぼ直角に曲がる左ドッグレッグホール。高くそびえ立つ林を越えることができればショートカットできるが、もちろんリスクも伴う

――リスクを背負ってのショットがミスになってしまったわけですね。

藤田:大会初日で同じような状況から、林越えに成功してグリーンの花道まで持っていったという過去のデータがあったので、自分としても狙うか狙わないかすごく悩みました。それで、当時キャディを務めてくれた梅原敦君に「どう思う?」って聞いて。「7:3で行く(越える)と思います」と。それで林越えの挑戦に踏み切ったんです。結果的にはこのショットのミスが勝敗を分けましたね。

――ショットの判断はキャディさんと相談して決める?

藤田:基本的には自分で決めます。ただ、そのときばかりは本当に迷ったんですよ。またねぇ、大会当時は調子も良くて、そういうときって攻めの方向に気持ちが向かいますから。我々の世界では結果がすべてなので、もし林を越えてバーディを獲れていれば称賛されますし、失敗すれば「なにやってんだ?」と言われます。それは仕方のないことですけどね。このショットに関しても過去のデータや自分の調子に基づいて打った、気持ちのこもった一打だったので、自分としては悔いはないのですが、反響が大きかったショットでした。

――このショットのあと、プレースタイルや考え方に変化ってありましたか?

藤田:ミスによってプレースタイルが変わったかというと、そんなこともなくて。ゴルフに対する取り組みや考え方はあんまり変わらないタイプですね。ただ、「一打で勝負を決めに行ってしまった」という反省点はあります。勝負の流れをつかみに行こうと攻めに出ましたが、あと1ホール(18番)あったので、例えば17番は刻んで18番に(勝負所を)持ち越す考えもあったのかもしれないですよね。まあ、いろんな考え方はできると思いますが、あとからは何とでも言えますからね。

画像: 藤田寛之が語る!プロゴルファー人生で最も“賛否”のあった一打 www.youtube.com

藤田寛之が語る!プロゴルファー人生で最も“賛否”のあった一打

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