コロナでゴルフに脚光!だからこそ改めたい “知っていて当然”という風潮
最近のゴルフ場には、経験者と最近ゴルフを始めた者との間でひと悶着起きそうな雰囲気が漂っている。プレーの進行、安全上の問題はもちろん、エチケット、マナーと呼ばれる些細なことに対しても“今どきのゴルファーは!”と憤りを感じながらプレーしている既存ゴルファーは少なくないのだ。
しかしながら、自分がビギナーであるという視点でゴルフ場を俯瞰してみると、いささか説明不足なのでは? と感じることも大いにある。それはゴルフ倶楽部のあり方(メンバーシップとパブリックの違い)に始まり、ロッカーや洗面所の使い方、練習場、練習グリーンの使い方、プレー進行に関わることまで。
一事が万事、教えてもらわなければわからないことだらけだからである。既存ゴルファーなら“知っていて当然”なことも、知らないのだから出来なくて当然だといえる。知っているのにあえてやらないのと、知らないからやっていないのでは大きく違うのだ。これが傍目にはどちらも同じに見えてしまうから、どうにもやっかいである。
例えば、グリーン上のピッチマーク直し、バンカーの均し方、ディボット跡への目土など、エチケットと言われることも、最初に誰かに教えてもらわなければできないこと。ピッチマークの仕方についてはクラブハウスに掲示があったりするけれど、正しいピッチマークのやり方の前に説明が必要なことがある。それが、なぜピッチマークを直さないといけないのか? という目的の説明だ。目土についても同じ。乗用カートには砂の入ったバケツがぶら下がっているが、これが何なのか、どうすればいいのかはどこにも書いてはいない。書いてあっても“目土にご協力ください”、“コース美化にご協力ください”という感じのものばかりである。
すべてにおいて、“当然、知ってますよね?”という空気感。その目でやっていない人をみると、ダメな人に見えてしまう。知らないから出来ていないというふうには見えないのだ。でも、ビギナーにとってはディボット跡、ピッチマークという言葉自体も、何それ? ということなのだ。
ゴルフのことを仔細に教える先輩がいない現代ゴルフの場合は、出来ていない=知らないと考えたほうが普通。個人的にはそう思う。
ゴミを捨てないで! と書くか、この砂はなんなのかを書くか
実は筆者のまわりにも、憤りを感じながらゴルフをしている人たちがいる。それは普段からディボット跡への目土をショットの一部として普通にやっている人たちだ。こういう人たちから見ると、コース内各所にある目土ステーション(砂の補充場所)にゴミや吸殻が捨てられていると、ムカッときてしまう。コースをきれいに保つための砂の中に、ゴミがあるというのは確かに気分が悪い。でも、果たしてこれは知っていてあえてやっているのか、知らずにやってしまっているのか、どちらなのだろうと、憤りの声を聞くたびに考えてしまうのだ。
なぜなら、この砂が入った土管が何なのか、書かれていたところを私自身は見たことがないからだ。米国では灰皿に砂が入っていてそこに吸殻を刺したりする。それを思うとティーイングエリア付近に砂が山盛りの箱があったら、タバコを刺す人がいても不思議ではないだろうと思う。その人は所定の場所にきちんと捨てている感覚なのかもしれないのだ。
では、目土ステーションにいちいち、「これはゴミ箱ではありません」と書かなければならないのだろうか? もっとスマートなやり方はないのだろうかとずっと考えている。その流れで最近個人的にやり始めたのが、スタート付近の目土ステーションに小さな立て札を立ててもらう試み。そこにはこう書いた。
「アイアン、ウェッジで削り取ってしまった所に、この砂を入れておくことで芝生の再生スピードが早まります。」
なぜ、ゴルフ場のあちこちにこうした砂山があるのか。その目的をその砂のある場所に掲示してみたのである。こうすれば、これが灰皿ではないこともわかっていただけるだろうし、目土をやってみようかなと思う人も増えるのではないかと思ったのだ。
ゴルフ場が説明書きだらけになってしまうことは正直望んでいないが、知っていて当然!が、知らなくて当然!になりつつある今、何かしらの方法で「行動の目的」を伝えることは必要だろうと思う。もちろん、それはゴルフメディアの仕事でもある。
写真/高梨祥明