クラブに革命を起こすとしたらピン
1970年の「ウイルソン」のクラブカタログ。7番アイアンのロフトを見てみると39度と書いてある。1982年登場の名器、ベン・ホーガン パーソナルは37度だ。
世界に認められたキャビティ「ピン アイ2」はというと7番で36度、それが1992年発売の「ZING」で34.5度となる。革新的なクラブメーカーであることから、最初にロフトを立てたのは、やはりピンなのか?
当時を知る、ロジャー・クリーブランドゴルフ プレジデント兼CEO 安本素之氏(元ピンジャパン代表取締役社長)に話を聞いてみた。
「ピンの創業者カーステン・ソルハイムはつねに ”Loft is yourfriend” と口癖のように言っていました。つまりロフトは“ショットをやさしくするあなたの友達である”ということを言いたかったのだと思います。また、番手間の “Harmony” がもっとも大切であるとの設計思想から各番手間は4度に設定されていました。アイアンで距離が欲しければロフトで調整するのではなく、シンプルに一番手大きいクラブを持てばいいだけだと。カーステンは創業時より『ゴルフをやさしく』また『老弱男女誰しもが楽しく』プレーできるスポーツにすることを優先していました。つまりストロングロフトはその思いとは真逆な発想だったはずです」(安本氏)
ピンではないとすると、いったいどこなのか?
当時のアイアン事情に詳しいとしたら……。続いて三浦技研会長・三浦勝弘氏に聞いてみた。
「確かいちばん最初にロフトを本間ゴルフだったはず……。そのアイアンを見て、これから番手別のロフト設定やヘッドの重量、そして飛距離も変わってしまうから、どう対応していこうか話したのを覚えています」(三浦氏)
なんとアイアンのストロングロフト化は海外メーカーでなく、日本のメーカーがきっかけを作っていたのだ! 確かめるために本間ゴルフで長く酒田工場で工場長を務め、開発責任者だった諏訪博士氏に聞くと「はい、本間ゴルフが最初です」との答えが返ってきた。
「当時、全英オープンで鈴木則夫プロが海外のプロより短い番手で長いパー3のグリーンに乗せた、というのが話題になりました。その後、実際に鈴木プロのアイアンに触れる機会がありまして、ロフトを測ったら1番手ぶん立っていたんです。これは! と思い研究して製品化したのが『プラス2』シリーズでした」(諏訪氏)
本間ゴルフはといえば、日本を代表し、世界からも注目されていた当時数少ないクラブメーカー。「HONMAのアイアンは飛ぶ」と世界から注目を浴び、それにならうようにして各メーカーのアイアンのロフトは立っていった。
やさしいゴルフを優先していたピンも、世の中の流れに抗えず、最後にロフトを立てた。「ピンがやったならウチも」、そこから堰を切ったようにアイアンのストロング化が進んでいったということになる。
そして現在の「ストロングロフト化」戦争の中心にいたのは「ゼクシオ」となるだろう。ニューモデルが出るたびに「今度のゼクシオの5番アイアンは何度になるのか?」というのがつねに話題となっていた。でも話題になっていたのは初代で26度とだった5番のロフトだ。そのロフトもいまや7番で設定しているアイアンも出てきている。
最後に三浦勝弘氏が言った言葉がとても気になった。
「昔、駅で傘もって素振りをする人がいたでしょう。あれと同じような軽いスウィングでボールを高く上げて打てるのはスタンダードロフトのアイアンだけ。ストロングロフトのアイアンになると、あのスウィングでは打てない、違う打ち方が必要になるんです」