彼が使うモデルはその年の最高モデルと言われ、最強のクラブ契約フリー選手だったブルックス・ケプカがついにクラブ契約をした。それも日本のメーカー住友ゴム工業とだ。松山英樹と同じく、スリクソン、クリーブランドゴルフのクラブを使うこととなる。
B・ケプカといえば全米オープン2回と全米プロゴルフ選手権2回という4度のメジャー優勝者であり、2018年はワールドランキング1位という超大物。2021年からは「ZX7アイアン」を使い始めていた。今回の契約でドライバーとウェッジ、さらにはボールも使うことになるという。
活躍中の海外のトップ選手が日本のメーカーとクラブ契約をすることは少なくはない。
古くはマルマンと契約していたイアン・ウーズナム。1987年と1990年のヨーロッパツアー賞金王で91年にはマルマンのクラブでマスターズ優勝を果たしたのは有名だ。オーガスタに「maruman」のキャディバッグがまぶしく輝いていたものだ。
マルマンはその3年後となる1994年にも、こちらも契約プロのホセ・マリア・オラサバルの活躍でマスターズを制している。しかし、総合契約だったにも関わらず、中継で他社のドライバーが映し出されたときには、関係者は唖然としたという。
このウーズナムの活躍が、日本のメーカー初のメジャーを制覇のように見えるが、なんと初優勝はヤマハ! 1987年の全米オープンでスコット・シンプソンが使用し勝利した。
ちなみに彼が使ったアイアン「SX-25」は、クラブ設計家・竹林隆光氏の設計だと言われている。
今年、シニアの年齢にして全米プロゴルフ選手権を制したフィル・ミケルソン。彼も日本のメーカーとクラブ契約していた選手のひとり。1992年、全米大学ゴルフ選手権を3度優勝したスーパールーキーだったミケルソンと契約したのはヨネックス。「スーパーADX」などのヨネックス製クラブを初々しいミケルソンが使っていたものだ。
そして1999年にはプロギアが91年のUSPGA賞金王で、1995年の全米オープンを制したコーリー・ペイビンと契約。「黒チタン」や「DATA」シリーズのアイアンをブライアン・ワッツとともに使って活躍した。
そして記憶に新しいのは本間ゴルフとジャスティン・ローズ。世界ランク1位で初代オリンピックチャンピオンと日本メーカーとの契約はセンセーショナルであったが蜜月は長くは続かなかった。
クラブ設計家の松尾好員氏は言う、「日本のメーカーはUSPGAの選手と契約して海外に出るべき、そうするとプロたちは練習場でほかの選手が使うクラブのことが気になり、ちょっと打たせて、よければ使ってみるか、となる。そうすることでクラブが世界的に知られていくのです」。
次にトッププロと契約する日本メーカーは出てくるのか、ケプカのクラブ契約が長く続くことを祈りながら見ていきたい。