アリソンバンカーで知られるコース設計家チャールズ・アリソン。東京だけではなく、関西にも赴き、あのコース設計にも携わっていた――。アリソンのコース設計家としての変遷を、全3回に渡って解説。本記事では中編の内容をお届けする。

東京ゴルフ倶楽部の移転にともなって招聘されたコース設計家のチャールズ・アリソンは、東京GCでの作業がひと段落したあと、関西に向かっている。

関西の財界人の間で、ゴルフ場を造ろうという機運が高まっていた時に、廣野ゴルフ倶楽部の設立者のひとり高畑誠一は「アリソンに設計を頼めないだろうか、ついでに茨木CC、鳴尾GCも見て欲しい」と考えた。高畑誠一に建設予定地を案内されたアリソンは、1000分の1の実測地図を手に2日間、予定地を検分。その後神戸オリエンタルホテルに1週間(3日間という説もある)こもり廣野GCを設計する。

廣野GC13番グリーン予定地でのアリソン。樹木が伐採され工事が進められている

現地を検分しながら歩き回るアリソンを見た伊藤長蔵は「当地に臨んで池や谷のもたらす曲折変化は遠来のアーキテクトを狂喜さすに充分であった。アリソン氏はいかにもインスピレーションに堪へざるものの如く喜色満面に溢れていた」と感想を残している。廣野GCの設計料は500ポンドだった。

工事着工は2月20日で、現場を監督したのは伊藤長蔵だった。伊藤の作業を補佐したのが、京都大で造園学を学んでいた上田治だった。上田は後に廣野GCの支配人を務め、コース設計家としても活躍した。

東京GC朝霞と違い、工事現場にはシェーパーがいなかったことから、図面を見ながらほぼ独学的に工事が進められたと思われる。そのためアリソンの図面通りに造られなかった部分があるとの話も残されている。伊藤は6月に入るとスタッフを引き連れて、東京GC朝霞の工事現場に赴き実地見学を試みている。

完成された廣野GCは、東京GC同様に洋芝が採用され「廣野のグリーンはクリーピングベントの常緑芝を使用し、そのグリーンは今や外国の第一流のコースと同様なる状態になること。従来の高麗芝のグリーンとは比較ならぬほど柔らかく、1年を通じて同じ状態を維持し、冬尚を青々していること」と会員の寄稿文が1932年6月のゴルフドム誌に掲載されている。洋芝採用に関しては東京GCの相馬孟胤の指導を受けていたようだ。

画像: アリソンが自ら描いた廣野GCの17番ホール

アリソンが自ら描いた廣野GCの17番ホール

アリソンは、茨木CCを視察した時にプレーをしているが、神戸に向かう途中京都の都ホテルに滞在している。寄り道をした理由は、アリソンに純日本庭園を見たいという希望があったからだ。

その時の様子を同行した大谷光明は「1931年初頭、京都を案内して私はアリソンを理解できた。桂離宮、修学院、龍安寺を見て回ったが、彼は時折、瞑想にふける。日本古来の庭を理解しようと努めているように思えた」と書き残している。

この関西行きに同行していた赤星六郎も1932年5月号の“ゴルフ”に「僕がアリソンに頼まれて一緒に京都に日本式庭園を見に行ったことがある。大谷尊由さん(大谷光明の弟)に願って、方々の立派なお庭を見せてもらったがアリソンはそれを見て日本のアーティフィシアに対する理解の深かったことは到底他の外人に見られないものがあった。滞在中ある料亭で食事を共にしたことがあったが、彼はふと話の途切れた時にじっと一人で考え沈んでいたが、口を開いて『ああ、あの水の流れの音は良いな』と感嘆の声を発した。耳にはせんくわんたる流れに音が料亭の静寂に響いているのであった。この瀞哲の心境、透徹した風格は僕の感情を打たずにはおかなかった。彼はそれほど細かいアーキテクトのセンスを持っていたのであった」と記述している。料亭での食事中に聞こえてきたのは恐らく「鹿威(ししおど)し」だったのだろう。

アリソンと関西に向かった大谷光明氏

コース設計者としての感性を垣間見た瞬間であり、コルトではなく弟子のアリソンがやってきたことへの不安がこれらのことで氷塊したといわれている。

アリソンは関西に滞在中、廣野GCの設計だけではなく、茨木CCと鳴尾GCの改造案を出している。その後、再び関東へ戻るわけだが、当時の交通事情を説明しておきたい。

1930年10月から東京、神戸間で運転を開始したのが特急燕(当時は漢字表記)だ。最高時速95キロ、平均速度65.5キロの速さで東京、神戸間を9時間で走った。当時の時刻表を探して調べてみたら、東京発9時、名古屋着14時34分、大阪着17時20分、終点神戸には18時に到着している。東海道本線は東京,国府津間は電化されていたが、難所の箱根を迂回した国府津と沼津の間はまだ蒸気機関車だった。機関車の切り替え時間を惜しむことから東京、神戸の全区間蒸気機関車のまま引っ張り横浜、名古屋間はノンストップだった。

特急燕には豪華な食堂車も牽引されていて、思ったより東京、神戸間の移動はそれほど難儀ではなかったようだ。

関東に戻ったアリソンの足跡を探すのはかなり難しいものがあったが、おそらく川奈ホテルに長期滞在していたと思われる。

※後編は2021年12月4日6時30分公開予定です

画像: 【ゴルフレッスン】カッコいいスウィングをつくる“3つの練習法”とは?打つときに意識することは手首の○○?!【狩野舞子】 youtu.be

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