クラブ設計家で、フォーティーンの創業者である竹林隆光氏。メーカーのトップとしてだけでなく、彼がゴルフ界に残してくれた功績は大きい。今日12月27日、彼の命日にあらためて振り返ってみる。

竹林氏は成蹊大学卒業後に横尾ゴルフに入社。その後、独立して1981年に「フォーティーン」を立ち上げる。すなわち今年、2021年は「フォーティーン」にとってちょうど創業40周年ということになる。プロゴルァーの感覚に頼ったクラブ開発が全盛だった時代に、データによるクラブの分析・開発を持ちこんだ。いまでは当たり前のように用いられている「重心距離」や「重心深度」などの用語やスペックの見方なども、竹林氏らが雑誌企画や書籍によって広めていったことだ。

画像: いろんなアイデアを自分が設計するクラブに盛り込み、ゴルファーを驚かせ、喜ばせてくれた竹林隆光氏。2013年64歳の若さで亡くなった

いろんなアイデアを自分が設計するクラブに盛り込み、ゴルファーを驚かせ、喜ばせてくれた竹林隆光氏。2013年64歳の若さで亡くなった

大学ゴルフ部時代には1977年に日本オープン選手権にも出場。ローアマ獲得というゴルフの腕前をもち、クラブ設計家としてクラブを分析するだけでなく、試打企画のテスターとしてもゴルフダイジェストでは「週刊」、「月刊」をはじめ「チョイス」にも登場して、企画を盛り上げてくれたのも懐かしい。

そしてヘッドの赤い色から通称「タラコ」と呼ばれたプロギア「インテスト」の開発に携わったことで、本人は謙遜していたが「ユーティリティの父」と呼ばれることもあった。

「もともと『インテスト』はロングアイアンが打てないアマチュアが打てるロングアイアンというのが開発のコンセプトだったんです」と語っていたように、つねに一般のアマチュアゴルファー目線のクラブ開発はゴルファーから多くの支持を得ていた。

画像: 赤いヘッドで「タラコ」と呼ばれたプロギア「インテスト」

赤いヘッドで「タラコ」と呼ばれたプロギア「インテスト」

ニューモデルを詰め込んだキャディバッグを担いで米ツアーに乗り込み、アーニー・エルスらが使用して人気となった「HI-858」。こちらは「インテスト」と違い、プロ・上級者のために開発されたユーティリティだったが、その様子が週刊ゴルフダイジェストでレポートされると、再びユーティリティブームを起こした。ドライバーのヘッドが300ccでデカヘッドと言われていた時代に、径が太い48インチのシャフトを装着して飛距離の夢を追った「ゲロンディー」。長尺を超えた長尺として「超尺ドライバー」という言葉も生んだ。そして近年では激スピンウェッジとしてブームを作った「MT-28」と、つねにエポックメイキングとしてクラブを生み出してくれた。

画像: ヘッド体積は300cc。バット径が太い48インチの初代「ゲロンディー」

ヘッド体積は300cc。バット径が太い48インチの初代「ゲロンディー」

「常識を疑え!」、竹林氏のポリシーを継いだスタッフたちにより作り出されたアイアン「TB-5フォージド」は2021年のヒット作となった。竹林イズムはしっかりと伝承され続けているようだ。

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