1957年、中村寅吉・小野光一ペアのカナダカップ優勝をきっかけに第1次ゴルフブームが起こりゴルフ人口が激増していった日本。当時、市長による地域振興案によってゴルフ場が誘致されたという経緯を持つ龍ヶ崎カントリー倶楽部。立地の良さもあって井上誠一の代表コースとして現在も人気が高い。
「立地条件として100点満点」
龍ヶ崎CCは、当時の市長による地域振興案によってゴルフ場が誘致されたという経緯を持つ。設計を担当したのは井上誠一で、計画書の中で井上は「立地条件として100点満点」と記している。井上の設計は2グリーンだった。オリジナルの2グリーンとしては初めてのことで、以降、日本のゴルフ場は2グリーンが主流となっていった。2グリーンの特徴としては暑い夏と寒い冬に使い分けができ、ゴルファーの増加に伴い片方のグリーンを休ませて養生するという利点もあった。開場時の全長は7047ヤードで、当時としてはかなり長く、国際競技を見据えての設計だといえた。来日してプレーをしたアメリカのツアープロ、サム・スニードは後にコースをアメリカの雑誌で紹介している。
井上誠一の設計理念は、与えられた地形を最大限に生かし、戦略性の高いコースを造ることだった。クラブハウスに近い場所に、自然に造られた深い溝が走っている。井上はこの溝を使い9番、10番、11番ホールを仕上げている。これらのホールでは、この溝を超すか、それとも溝の手前で刻むかの選択肢を迫られ、龍ヶ崎の“アーメンコーナー”と呼ばれる。
バンカーがない、それが最高のデザイン
10番ホールは419ヤードのパー4。このホールにはバンカーなど人工的なハザードはない。その理由は、左にある小高い丘と、そこに生える松の林、右手にはやはり小高い丘があり、ティショットは左の丘に生える松林を越えて打つか、長打力でフェアウェイに落とすしかないからだ。つまり、自然の地形によるハザードが活かされていて、あえて人工的なものは不要との考えがあったからだ。