プレーオフを争った西村優菜、小倉彩愛、吉田優利はいずれも2学年下のプラチナ世代。植竹が先輩の意地を見せた。プレーオフがおこなわれた18番は2オンも可能なパー5。正規のラウンドでは3日間ともパーとしていた植竹だが、プレーオフに入ると高い集中力を発揮し、6度プレーして4バーディ。1ホール目に西村、2ホール目に小倉、最後に吉田をふるい落とし、長い戦いに終止符を打った。
黄金世代の中では遅咲きの初Vとなった植竹だが、むしろ早熟といえるほど、早い時期から頭角を現していた。勝みなみが最年少の15歳293日でアマチュア優勝を果たしたのが2014年の今大会。しばらくして黄金世代という言葉が浸透し始めると、関東でジュニア育成に携わる関係者から「東には植竹がいます」という声が聞こえてきた。九州の勝を筆頭に、当時の黄金世代が西高東低。中学時代にツアーで上位争いを演じ、「日本女子アマ」ベスト16など輝かしい実績を残していた植竹は“東のエース”と期待されていた。
ただ、植竹が大きくクローズアップされる場面はなかなか訪れなかった。体調を崩した時期もあり、高校時代は周囲の期待ほどの成績は残せず、プロテスト一発合格を果たして飛び込んだプロの世界でもレギュラーツアーでの予選通過に3年を要した。
なぜ、世代をリードしていたはずの“東のエース”が雌伏の時を過ごすことになったのか。体調面とは別の答えが、この日の優勝会見の中にあった。植竹は高校2年生の春に両親が離婚したことを明かし「ゴルフができなくなるぐらいの経済状況だったけど、母がダブルワークをしながら『好きなことをやりなさい』と応援してくれました。たくさん喧嘩もしたけどいちばん尊敬する人です」と母・和美さんへの感謝を涙ながらに語った。多感な時期だけに経済面だけでなく、精神的にも大きな影響があったことは想像に難くない。
同世代のライバルたちについて植竹は「私は国内で優勝したばかり。海外で活躍している畑岡(奈紗)選手や渋野(日向子)選手に早く追いつきたいという気持ちは強いですね」。黄金世代では10番目でも23歳の初優勝は決して遅くはない。再び追いつき、追い越す時間は十分に残されている。