最終18番パー4、1メートルほどのウイニングパットを沈めた藤田は歓喜のガッツポーズをしかけたところでその場にしゃがみこんだ。勝てなかった11年の間には子宮頸がんなどの病気やシード落ちを経験。苦しみを乗り越えた先の勝利に涙があふれた。グリーンサイドで待っていた“宮里藍世代”(1985年生まれ)で同い年の横峯さくら、原英莉花らも涙。多くのツアー仲間に慕われる藤田の人柄を表すシーンだった。
古い話で恐縮だが、15年近く前に筆者もそんな藤田の人柄を感じた出来事があった。石川遼がオフのトレーニングの一環としてクロスカントリーのスキー合宿を行った際、既にクロカンを下半身強化に取り入れていた藤田が陣中見舞いにやってきた。差し入れの餃子は大量で報道陣にも振る舞われた。当時の藤田はまだ20代前半。時には煩わしい存在であろう報道陣にまで気遣いができるのは根っからのやさしい性格なのだろう。前週の男子ツアーでは石川が3年ぶりの優勝を果たしたばかりとあって、藤田の優勝にそんなことを思い出した。
この優勝でMRは10位に浮上し、最終戦の成績次第では賞金ランクの自己最高位(10位・2010年)を上回る可能性もある。(11月)22日で誕生日を迎える37歳のベテランがベストシーズンを過ごそうとしているのは驚くべきこと。若いころからの武器である飛距離は衰え知らずとあって、来季以降のさらなる活躍にも期待が持てる。
優勝争いと同時に最終日は単独3位以上で逆転シードの可能性があったリ・ハナの動向にも注目が集まった。結果は4位タイでシード入りはならなかったが、大会前のMR64位から54位に浮上。来季前半戦の出場権を獲得した。
予選落ちに終わった前週の「伊藤園レディス」2日目のラウンド後、最も遅くまで練習をしていたのがリ・ハナだった。投光器がなければ真っ暗な練習グリーンでなかなかボールを打たないリ・ハナに梅原敦キャディが「ハナちゃん、やるよ」と声をかける。本当にやる気がないのではなく、親子ほど年の離れた梅原キャディにちょっと甘えてみせたのだろう。この練習が実ったとは思わないが、最後の最後まであがこうという気持ちはこうして結果につながった。
年間女王に輝いた山下美夢有と同じ2001年生まれの21歳。ギリギリで出場権を手にした経験はきっと来季の飛躍につながるはずだ。