18歳の高校生・宮里藍がミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンでアマチュア優勝を飾ってから今年でちょうど20年になる。今でこそ試合会場にギャラリーが押し寄せ、盛況を博す国内女子ツアーだが、当時は閑古鳥が鳴き「どうしたら人気が出るのか?」という議論が真剣に交わされるほど不人気だった。それが、今なぜ、女子ゴルフは人気があるのか? 20年の歴史を振り返り、その答えを導き出していく。(※書き手は宮里藍を中学生の頃から取材してきた川野美佳氏)
画像: 20年前の03年に、高校3年生の宮里藍がミヤギTV杯でツアー初優勝。アマチュア優勝は30年ぶりの快挙だった(撮影/岩村一男)

20年前の03年に、高校3年生の宮里藍がミヤギTV杯でツアー初優勝。アマチュア優勝は30年ぶりの快挙だった(撮影/岩村一男)

ちょうど20年前不人気だった女子ゴルフ界に颯爽と登場した救世主が利発な瞳を輝かせる小柄な沖縄の少女“藍ちゃん”。プロの試合で優勝した10日後、母校・東北高校でプロ宣言し、現役高校生プロが誕生。するとマスコミが大挙して試合会場に詰めかけ、テレビで特集が組まれるなどゴルフを知らない人々をも巻き込んだ大フィーバーが巻き起こった。

その年の暮れに沖縄で開催されたNAHAマラソンでスターターを務めた宮里藍。彼女を取り巻く人々の熱狂を目の当たりにしたコーチでもある父・優さんは「山が動いた」と感慨深げにつぶやいた。

デビュー翌年の04年開幕戦ダイキン・オーキッドレディスでプロ4試合目にして地元・沖縄で優勝すると社会現象のような騒ぎに。その大会では「女子ツアーがもっと盛り上がるように」と兄・優作がキャディを買って出たが、まさか妹が勝利し女子ツアーに男子ツアーを凌ぐ注目が集まるとは思ってもみなかった。

当時は不動裕理一強時代。00年から6年連続賞金女王に輝いたのだが、宮里の出現で勢力地図の変化が始まった。

画像: 04年の最終戦は、00年から4年連続賞金女王の‟絶対女王”不動裕理と初の女王を目指す宮里藍の一騎打ち。不動が激戦を制した(撮影/姉崎正)

04年の最終戦は、00年から4年連続賞金女王の‟絶対女王”不動裕理と初の女王を目指す宮里藍の一騎打ち。不動が激戦を制した(撮影/姉崎正)

04年に5勝を挙げた宮里は最後まで不動とタイトル争いを繰り広げ、1億2千万円強を稼いだが不動には一歩及ばず2位にとどまった。それでも宮里の活躍に刺激を受けたアマチュア時代からのライバル・横峯さくらや1つ年下の諸見里しのぶ、上田桃子らが次々と頭角を表すようになる。

なぜ山が動き、若手が躍進し始めたのか? 

もちろん宮里がお手本になったことは間違いない。だが「ビフォー宮里」と「アフター宮里」の決定的な違いは選手たちのゴルフに取り組む姿勢だった。不動は誰よりも練習場に長くいることで知られたが、宮里を中心にした才能豊かな若い選手たちが「不動さんより少しでも長く練習場にいる」を合言葉に時間だけでなく中身の濃い練習に打ち込むようになった。

05年はじめには宮里がオーストラリアの試合に出場し「ウェブ先生」と慕うカリー・ウェブと優勝争い。2位に終わったが世界的にはまだ無名だった少女が海外でも脚光を浴びた。さらに2月には南アフリカでおこなわれたワールドカップ女子ゴルフに北田瑠衣とのペアで出場。記念すべき第1回チャンピオンに輝き南アのヒーロー、アーニー・エルスの祝福を受けた。

画像: 05年の日本女子オープン(戸塚CC)は、宮里藍の最年少優勝(当時)を見ようと最終日2万人を超える大ギャラリーを集めた(撮影/姉崎正)

05年の日本女子オープン(戸塚CC)は、宮里藍の最年少優勝(当時)を見ようと最終日2万人を超える大ギャラリーを集めた(撮影/姉崎正)

10月には日本女子オープンで国内メジャー初制覇。20歳にして史上最速のツアー10勝目を達成したが、女子オープンではかつてない2万人を超すギャラリーを集め大きな話題に。その勢いのまま挑んだ米ツアーの最終予選会では2位に12打差をつける大会記録で幼い頃からの夢だった米ツアーの出場資格を獲得。「ゴルフの神様に行ってもいいよ、と背中を押してもらった」と語っている。

宮里人気で不毛の時代に終止符を打ち、人々の注目を集めるようになった国内女子ツアー。主役の渡米で人気低下が心配されたがツアーの歩みは止まらなかった。(第2話へ続く)

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