宮里藍に続いて上田桃子が米ツアーに参戦。日本国内の人気が高まるなか、世界でも日本選手が活躍する。そんなとき、韓国から国内ツアーに最強の"刺客"が多数登場。世界や韓国と戦う日本という図式が、さらに日本の女子ゴルフ界を盛り上げていった。

07年賞金女王に輝いた上田桃子は08年から主戦場を米ツアーに移した。デビュー戦はハワイで行われたシーズン開幕戦SBSオープン。すると、いきなり優勝争いを演じ、最終日はレジェンド、アニカ・ソレンスタムと最終組でプレー。優勝はならなかったがトップ10(8位)に入りし米ツアーで戦う自信を深めた。

国内では宮里藍世代の若手とベテランに加え、実力派の韓国勢が台頭。宮里と上田が渡米し不在だった08年はイ・チヒと激しい賞金女王争いを繰り広げた古閑美保が最終戦で劇的なタイトル奪取。120万円の僅差で故・清元登子(宮里藍優勝の30年前にアマチュア優勝&ツアー7勝)門下としては不動裕理、大山志保に次ぐ3人目の戴冠を果たした。

同年の暮れにはアマチュアだった宮里美香と06年の賞金女王・大山志保が米女子ツアーの最終予選を突破しツアーカードを取得。宮里美香は日本のライセンスを持たないまま、先にアメリカでプロになった。

画像: 09年に宮里藍がエビアンマスターズで米ツアー初優勝を飾った(写真は11年のエビアン優勝/GettyImages)

09年に宮里藍がエビアンマスターズで米ツアー初優勝を飾った(写真は11年のエビアン優勝/GettyImages)

09年は宮里藍が参戦4年目にして念願の米ツアー初優勝を挙げた年でもある。舞台はエビアンマスターズ。上田や高校の後輩・有村智恵、原江里菜らが見守るなか、飛ばし屋ソフィー・グスタフソンをプレーオフ1ホール目で破りトロフィーを掲げると、渡米してからの苦労が走馬灯のように脳裏を駆け巡り「遠回りじゃなかった。諦めないでやってきて良かったです」と大粒の涙をこぼした。

じつは宮里、米ツアー2年目の07年、ドライバーが曲がり生涯初のスランプに陥っていた。辛い経験を乗り越えての勝利は格別。サッカー、フランス代表のキャプテン、ジダン選手に祝福され、涙の後、笑顔が弾けた。

エビアンはのちにメジャー大会に昇格するが、宮里は昇格前の09年と11年に優勝。17年には現役最後の舞台にも選んでいる思い入れの強い大会だ。翌10年には開幕から2連勝を飾りシーズン5勝、世界ランク1位も経験し、頂点からの景色を味わった。

画像: 09年の賞金女王争いは横峯さくらと宮里藍の1歳下の諸見里しのぶとの一騎打ち。最終戦に横峯が勝利し、大逆転で女王の座に輝いた(撮影/姉崎正)

09年の賞金女王争いは横峯さくらと宮里藍の1歳下の諸見里しのぶとの一騎打ち。最終戦に横峯が勝利し、大逆転で女王の座に輝いた(撮影/姉崎正)

宮里が米ツアー初優勝を飾った09年、国内では横峯さくらと諸見里しのぶが激しい賞金女王争いを繰り広げ、年間6勝を挙げ最終戦のLPGAツアーチャンピオンシップも制した横峯が初の賞金女王に輝いた。シーズン20回のベスト10入りを記録した有村智恵が賞金ランク3位に入る健闘を見せるなど20代前半のプレーヤーがツアーの主役に躍り出た。

10年以降は韓国勢の台頭が顕著に。10年&11年とアン・ソンジュが賞金女王に輝き、ジョン・ミジョン、パク・インビらがツアーを席巻したが、以前と違うのは韓国勢が活躍してもツアーの人気が衰えなかったこと。

画像: ツアー6勝のキム・ハヌル(左)と15年の女王イ・ボミ。日本のゴルフ界でも韓国選手は人気が高く、女子ツアーを大いに盛り上げた

ツアー6勝のキム・ハヌル(左)と15年の女王イ・ボミ。日本のゴルフ界でも韓国選手は人気が高く、女子ツアーを大いに盛り上げた

特に強くてルックス抜群のイ・ボミは男性だけでなく女性ファンも多く、愛くるしい笑顔でギャラリーを魅了。12年には賞金ランク2位、15年には賞金女王に輝いている。

のちに大学の同級生キム・ハヌルも来日しツアー6勝を挙げたが韓国語で『空』の意味を持つハヌルに合わせ、スカイブルーのウェアを颯爽と着こなしフェアウェイを闊歩する姿が人気を集めた。美しいと評判のアン・シネもゴルフ雑誌以外のグラビアに取り上げられるなど、胸をときめかせたファンも多かった。

13年は90年生まれの森田理香子が横峯とタイトル争いを繰り広げた。メルセデスランキング(年間女王)1位の座は横峯に譲ったが、初の賞金女王に。アン・ソンジュやイ・ボミといった強豪に日本の23歳が打ち勝った。(第4話へと続く)

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