渋野日向子は、その年の国内メジャー、ワールドレディスチャンピオンシップで優勝しているものの海外の試合に出るのは初めて。右も左もわからずイギリスに渡り、全英女子オープンというメジャーの舞台に立つ。すると、あれよあれよという間にトロフィーを掲げた。海外メディアからは『スマイリングシンデレラ』の愛称までいただいた。
緊張する優勝争いのさなかでもおやつをパクパク。テレビカメラに笑顔で手を振る姿がクローズアップされ、日本だけでなく世界中のゴルフファンがシンデレラに恋をした。
メンバー登録をすれば予選会免除で米ツアー出場が可能だったが、渋野の選択は国内ツアーに専念すること。その年(19年)4勝を挙げてメルセデスランキング1位、賞金ランク2位に輝いた。
海外メジャーで活躍したのは渋野だけではない。21年に笹生優花が最高峰のメジャー全米女子オープンで優勝。しかもプレーオフを戦った相手が畑岡奈紗。ジャパンゴルフが世界を席巻したのだ。
そのとき笹生のスウィングがローリー・マキロイに似ていることが話題になり、優勝直後に男子の全米オープンの会場を訪れた笹生が憧れのマキロイと対面。「いいスウィングだね」とお褒めの言葉をもらいハグまでしてもらうと「自分がメジャーで優勝争いをしたときよりも緊張した」と笑った。
また、1年遅れの開催となった東京オリンピック(21年)では稲見萌寧が躍動。金メダルはネリー・コルダに譲ったが堂々の銀メダルを獲得しシーズン8勝。各賞を総なめにし『絶対女王』の名を欲しいままにした。
99年7月生まれの稲見は黄金世代より1学年下。彼女の1学年下の古江彩佳、西村優菜、安田祐香、吉田優利らはプラチナ世代と呼ばれたが、稲見は黄金とプラチナの狭間。すなわち『はざま世代』の代表格だ。だが、これだけ活躍したのだから『はざま』と呼ぶのは失礼かもしれない。
アマチュアではオーガスタナショナル女子アマで梶谷翼が優勝し、タイガー・ウッズがSNSで「おめでとう」とメッセージを贈るなど日本女子選手の評価は世界でうなぎ登り。
19年の終わりから世界を震撼させたコロナウィルス感染症問題。20年にはツアーが中断し、再開しても無観客試合が多かった。しかし女子プロ人気は衰えることなく、有観客になった途端、ファンが会場に押し寄せた。
タイガーが、04年&05年とダンロップフェニックスで連覇を飾ったとき、その裏で宮里藍が出場した試合の視聴率がフェニックスの視聴率を上回ったことがある。それをタイガー本人が知り「日本の女子ゴルフは人気があるんだね」と苦笑いしたが、その当時から男女ツアーの視聴率逆転現象が起こり、20年の歳月を経て定着したのも若い世代の躍進があったからだ。(第6話へと続く)