1月9日国立競技場でおこなわれた第101回全国サッカー選手権大会決勝で岡山学芸館が京都代表の東山を3-1で破り岡山県勢初の日本一に輝いた。その優勝チームのゴールキーパーがじつは、ツアー通算6勝を誇る平塚哲二の長男・仁くん。好セーブでゴールを守り抜いた日本一の息子の父は、どんなプロゴルファー?
画像: 高校サッカー日本一に輝いた岡山学芸館のゴールキーパー平塚仁選手(写真/Getty Images)とプロゴルファーの父・哲二(17年撮影)

高校サッカー日本一に輝いた岡山学芸館のゴールキーパー平塚仁選手(写真/Getty Images)とプロゴルファーの父・哲二(17年撮影)

前回優勝校の青森山田高を撃破した鹿児島・神村学園との準決勝で岡山学芸館は3-3の激闘の末、決着はPK戦に持ち越された。相手チームにはドイツ・ブンデスリーガのボルシアMGへの入団が決まっている超高校級ストライカー・福田師王選手がいる。大会一注目度の高い世代別日本代表の常連のPKを止めたのが守護神・平塚仁選手だった。

エースの撃沈で意気消沈した神村学園とのPK戦を4-1で制し決勝にコマを進めた岡山学芸館の立役者は間違いなくゴールを死守した平塚くん。

SNSでも「平塚選手のファインセーブがすごかった」と賞賛され、アスリートの先輩である父親からは「(決勝では)スタジアムの空気にのまれずに頑張れ」とエールを贈られた。

父の激励を胸に刻んで挑んだ決勝戦でも好セーブを見せ、ついに全国の頂点に立った息子の勇姿に父は涙したに違いない。

画像: 2003年に日本シリーズJTカップで初優勝を飾り、レギュラーツアーで6勝を挙げ、現在シニアツアーで活躍する平塚哲二(17年撮影)

2003年に日本シリーズJTカップで初優勝を飾り、レギュラーツアーで6勝を挙げ、現在シニアツアーで活躍する平塚哲二(17年撮影)

51歳ですでにシニアツアー入りした平塚だが、レギュラーツアー時代はショットメーカーとして知られていた。天性のゴルフセンスを生かすべく積極的にスウィングコーチを起用するなど貪欲にゴルフを追求した名プレーヤーである。

プロゴルファーを多数輩出した日本体育大学に進学し、エリート路線に乗るかに思われたが、プロ入りしてからは苦労続きで初シードを獲得したのは30歳直前。しかし今からちょうど20年前の2003年、32歳で日本タイトルのひとつ『日本シリーズJTカップ』でツアー初優勝を飾り、獲得賞金1億円超えで賞金ランク2位に入って、”日本一”にはなれなかったが、その年一気にブレイクした。

その後コンスタントに勝星を重ね6勝を積み上げ、10年にはアジアツアーに参戦しシーズン3勝の活躍を見せ同ツアーの賞金ランク5位に入っている。

ライバルのプロたちが一目置くほどショットの切れ味は抜群だったが弱点はパッティング。もしパットがあと少し入っていれば二桁勝利は間違いなかっただろう。

京都出身で長年甲賀CCに所属していたお酒をこよなく愛す平塚。同コースの研修生が以前、平塚が優勝したとき新幹線の駅にコースのスタッフが横断幕を持って出迎えたというエピソードを話してくれたことがある。一見、強面だが後輩の面倒見が良く、横断幕の出迎えに顔をくしゃくしゃにして号泣したというから微笑ましい。

息子が日本一になったのだから父は自分のとき以上に顔をくしゃくしゃにして泣いたに違いない。もちろんお酒も美味しかったことだろう。

種目は違ってもアスリート同士。父と子は固い絆で結ばれている。

※23年1月10日15時02分文章を一部修正いたしました

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