渋野日向子や勝みなみら、黄金世代の12人目の優勝者はアマチュア時代にステップアップツアーで優勝するなど、早くから力を発揮していた吉本ひかるだった。
2打リードで迎えた最終日は出だしからパーが続き、9番でボギーが先行する苦しい展開。2位でスタートしたささきに逆転を許した。それでも、後半は4バーディー、ノーボギーで挽回した。
ささきとのプレーオフは、2ホール目で先に9メートルのバーディーパットを沈めて、マッチレースに終止符を打った。
苦しい時期を過ごしてきただけに優勝が決まると涙を見せた吉本。
表彰式では、高校時代から師弟関係を続ける中島敏雅コーチやその中島コーチの紹介で指導を受けている飯田光輝トレーナーらへの感謝の言葉を口にした。
吉本が中島コーチの下で復調したことは見ているこちらを明るい気持ちにしてくれた。
近年のツアーは、時についていけないほど、コーチを替える選手が多い。
それ自体悪いことではない。いいと思うものをどん欲に吸収しようとするのはプロとして当然のことだ。新しいコーチの下で復活、あるいは成績を伸ばす選手もいる。
とはいえ、それも行き過ぎるとどうだろう?
“今年はこのコーチ、来年はあっちにしよう”では、本当に成長できるのか疑問を持たざるを得ない。
吉本はほかのコーチに目移りすることはなかった。
コーチを替えるきっかけにもなりやすいスランプを、中島コーチとともに乗り越えた。
吉本とは別の選手について、中島コーチがかつてこんな話をしていた。
その教え子はまだジュニアゴルファーで、プロの試合に出場する機会も増え始め、プレーするレベルが上がる中、コースマネジメントの重要性を認識して、迷いが生じたていたころの話だ。
「ティーショットからフェアウエイを3分割して、狭い幅をピンポイントで打たなければと、自分でプレッシャーをかけてしまっていた。そういうことが必要なコースやホールもあるんですけど、必要がないときまでそれを考えてしまって……」
そのことを教え子に伝えるべきタイミングを探りつつ、選手が自ら気付くのをじっと待ったという。
中島コーチは選手たちとじっくり向き合うことができる “待てるコーチ”だった。
飯田トレーナーとトレーニングに励むなど、スランプ脱出へ、さまざまに手を尽くしたうえで、再び輝くときを待ち続けていた吉本と中島コーチ。
2年間の不調は長かっただけに、次は待つ暇もないぐらいの早い2勝目を期待したい。