「皆さんが、一番輝かしい青春時代を共に過ごしてくれました」と仲間のプロやゴルフ関係者らに感謝するイ・ボミだが、プロ仲間やボミに関わったすべての者たちこそが、「ボミちゃん」に感謝している。そこで、プロ仲間らの「ボミちゃんへ」の感謝のメッセージをまとめた。
画像: 今年のスタンレーでの2ショット。「昨年のこの試合の週、初めて一緒に食事し、今度韓国に来たら案内するね、など普段の話で盛り上がりました」と仲良しのイ・ボミに感謝する小祝さくら

今年のスタンレーでの2ショット。「昨年のこの試合の週、初めて一緒に食事し、今度韓国に来たら案内するね、など普段の話で盛り上がりました」と仲良しのイ・ボミに感謝する小祝さくら

小祝さくら「私もボミさんみたいになれるように頑張りたい」

アマチュアのときは、可愛くて強いところがすごく好きで、ボミさんに憧れていました。

でも、私がプロになってすぐのときはすごい人気で、気やすく話しかけてはいけないと思っていて。勝手にファンという感じでしたね。

「スマイル・キャンディ」と言われるだけあって、笑顔が可愛くて。 

画像: 15年のニトリレディス。優勝とローアマだった2人。「話し方が可愛いのにまずびっくり。片言なのがまた可愛くて。今は日本語もすごく上手になられて!」(小祝)

15年のニトリレディス。優勝とローアマだった2人。「話し方が可愛いのにまずびっくり。片言なのがまた可愛くて。今は日本語もすごく上手になられて!」(小祝)

初めて話をしたのはアマチュア時代のニトリレディス。何より優しい。自分はあまり緊張しないタイプ。

でも初めてボミさんと同じ組になってすごく嬉しいけど、めちゃ緊張して。

そうしたら、たくさん話しかけてくれたり、ボミさんがスプレーの日焼け止めを塗ったとき、私に音は聞こえていないのに「ごめんね」ってプレー中にわざわざ謝ってくれたんです。気遣いの方だなあって思いました。 

ボミさんのウェアもすごく好きで、同じものを私も着てみるんですけど、全然違うものになるという現実。いつも、お店でショックを受けていました。ボミさんみたいに可愛く着こなせない(笑)。 

ゴルフでは、一緒に回ったとき、パットがなんでこんなにどこからでも入るんだろうと思ったり、ドライバーの正確性も。飛距離も出るのに曲がらない。トータルしてすべてが上手くて安定しています。

ご飯はなかなか行けなかったけど、昨年の「スタンレーレディスホンダ」の週、初めて一緒に食べました。私がボミさんを好き、ボミさんも私のことを可愛いといつも言ってくれていたらしく(笑)、マネジャーさん同士がセッティングしてくれて、韓国料理をご馳走になりました。

そのとき「優勝したらおごってね」と冗談で言われて、本当にその週に優勝したんです。

翌週は、私が焼肉に誘って今度はご馳走できました。ボミさんが言ってくれたことがすぐに叶っちゃって。 

本当にいつも優しくしてくれて、でもファンの方にもいつも優しいんです。そんなボミさんの人間性も好きなので、私もボミさんみたいになれるように頑張りたい。

引退することは寂しくて悲しいですけど、またいつか、会いたいなって思います。韓国は近いですから。

上田桃子「尊敬する選手。戦えたことが本当に幸せです」 

まずはボミ、12年間にわたる日本ツアーでの現役生活、お疲れさまでした。

今の女子ゴルフ界を築いたのが(宮里)藍ちゃんだとしたら、今につながる女子ゴルフ界の盛り上げを作ってくれたのがボミだと思います。

私がデビューした当時は、すでに藍ちゃんの活躍で新しい風が吹き始めてはいましたが、体育会の香りも残っていて、自分も含めてがむしゃらにゴルフをしていた印象があります。

ところが14年、私が米ツアーから日本ツアーに戻った頃には、その雰囲気は一変。その中心にいたのがボミでした。

画像: 試合中でもプライベートでも距離感が一緒だから親しみやすいという上田。「同じ時代を一緒に戦えたこと、同じ空気を吸えてことに感謝しかありません」。右は木戸愛

試合中でもプライベートでも距離感が一緒だから親しみやすいという上田。「同じ時代を一緒に戦えたこと、同じ空気を吸えてことに感謝しかありません」。右は木戸愛

正直、あんなに可愛くて、体も大きくない女の子が、あれほど飛ばし、そして強いことに衝撃を受けた記憶があります。 

とかく強い外国人選手は、時に日本のファンには敵視されがち。ところがボミの場合、ギャラリーの多さは日本の人気選手を凌いでいました。

その人気は「スマイル・キャンディ」と呼ばれた愛くるしさだけでなく、人間性も大きな要因でしょう。

来日した当時、ほとんど日本語を話せないボミでしたが、やがて日本語を覚えると、数年後には関西弁で冗談を言えるようにもなって。私も何度も、関西弁でつっこまれましたよ。

苦労というか努力を見せないところ、彼女の美学でしょう。あの高い技術は、人知れぬ練習量があってこそのものですが、そういう姿を一切、感じさせないところもプロでした。 

実はプライベートで韓国に旅行したとき、ボミにアテンドしてもらったんです。ご両親とも一緒に焼き肉を食べましたが、とにかくフレンドリーで面倒見がよく、昔から知っているように接してくれて。あの笑顔はこういう家庭だからこそ生まれるんだと思いました。

19年にはソウルで行われた結婚式に、藍ちゃん、(有村)智恵、(原)江里菜、柏原明日架らと呼ばれましたが、皆がどんな用事よりも優先して出席したのはボミの人柄です。尊敬する選手でした。戦えたことが本当に幸せです。

樋口久子元会長「ゴルファーだけでなくゴルフファンを増やしてくれました」 

彼女はゴルフはもちろん上手いんです。それでいてすごく人当たりもよくて、ギャラリー、ファンサービスも素晴らしい。見ていて、あの”スマイル“で、とても可愛いんですよね。 

日本で21勝していますけど、こんな場所からもこんなショットが打てるんだというプレーを何度も見せてくれた。

多彩なショットもできたし、パッティングも上手でした。今でも印象に残っているのは、(優勝した16年のヨコハマタイヤPRGRレディス)で、ティーショットのボールが右に行ってしまい、スライスを打たないといけない場面で、バンカーの端に当たってコロコロとピンの傍に寄った一打です。彼女のすべてが出た感じでした。 

実は、一時勝てなくなってすごく悩んでいたときに、私が1ヒントを伝えたら勝ってくれたんです。素直に人の話を聞き入れる部分も強さの秘密かもしれません。

あれは大箱根でのCATレディス。たいして教えてはいないのだけれど、試合前に冗談で「勝ったら何パーセントかね」と言うと、本当に勝ちました。もちろん本気ではなかったですけど、嬉しかったですよ。 

なにせ礼儀正しい。魅力ある選手ですよね。出身国が違っても、それは関係ない。やはり人柄でしょうね。日本中でゴルファーだけでなく、ゴルフファンも増やしてくれた。

宮里藍さんもそうですが、スターがいて、それに憧れてプロゴルファーになろうというジュニアは多い。彼女みたいになりたい、と育ってきたのが今活躍している選手たちです。

皆に惜しまれて日本の試合から引退するんです。もしかしたら燃え尽きているのかもしれない。

ご結婚されたし、素敵なご主人でしょうから、幸せになってほしい。今は、お疲れさまでした、と言いたいです。

清水重憲キャディ「ボミプロのおかげで今の僕があるといっても過言ではないんです」

改めてすごいと思うのは、イ・ボミ、ボミちゃんという選手を知らない人があまりいないということ。今も知人と話をしていて、ゴルフを知らない人でもイ・ボミは知っているから驚きます。

宮里藍ちゃんや石川遼くんに匹敵する国民的スポーツ選手です。出身と違う国でこれだけ愛される選手もなかなかいない。

「スマイル・キャンディ」と言われているようにいつもニコニコしていることもあるんでしょうけど、威張らないというか勘違いしないというか。

人間誰しもトップに立つと発言や行動が少し偉そうになったりする。でもボミプロに関しては、私が長く一緒にやったなかで一度もないです。 

僕にキャディを依頼したきっかけは、韓国で放映されてる日本ツアーを見て、上田桃子選手のバッグを担ぐ僕を見て「すごく楽しそうにやってる」と感じたからだそうです。

最初の試合はマスターズGCレディス。そこでトップ10に入ってから約6年間、組みました。

でも最初は日本ではほぼ無名。ボミプロもアウェイ感を感じていたでしょう。バーディチャンスに付けてもまったく拍手がないんですから。それでも淡々とプレーしていました。 

画像: 「トップを続けるというのはすごいプレッシャー。これと戦うことを一緒に味わえたのはよかった。僕も寝られない日が何度もありました」とイ・ボミとの思い出を語った清水キャディ

「トップを続けるというのはすごいプレッシャー。これと戦うことを一緒に味わえたのはよかった。僕も寝られない日が何度もありました」とイ・ボミとの思い出を語った清水キャディ

僕は一緒に17 回勝たせてもらったのですが、彼女は優勝の翌週にはもう一生懸命、基本の練習をするんです。練習日からの決まったルーティンを守りながら。優勝争いのなかでは良い結果だけを求めるので、スウィングは少しずつズレていく。

ドローヒッターなので少し右を向く癖があるんですけど、それを少し左を向いて打ってみたり、スウィングをニュートラルな状態にするために次の週には練習する。だから2 週連続優勝も多かったですよね。 

素晴らしい技術があるからこそですけど、本当にすごく素直で、僕がアドバイスしたら、そこに正確に打てるんです。一時は、失礼な言い方かもしれませんが、ゲームをしているような感覚でやっていました。それに自然をも上手く味方にしていける感じがあった。

何よりボミプロは絶対に諦めない。キャディから見て「勝てるかも」と思った試合にはかなりの確率で勝つ。簡単ではないことです。本当に不思議な勝負勘がありましたから、プレーオフも強い。 

ボミプロが僕との出会いを嬉しかったと言ってくれることは、涙が出るくらい嬉しい。

僕が今でも仕事のオファーをいただけるのは、彼女のおかげです。「プロキャディ」という言葉も、ボミプロが広めてくれたのかな。

「キャディといろいろ相談して決めた」などと発言してくれたり。そして、日本のゴルフを変えてくれました。

メディアのカメラに向かってピースしたり、試合中に笑顔で楽しむ姿勢。あの頃はまだ「試合は真剣にしろ」という感じもあった。大げさかもしれませんが、それをこじ開けた。

また、個人スポーツのゴルフに「チーム」の概念をもたらした。コース戦略は僕と、スウィングはコーチと、体のコンディションはトレーナーと、スケジューリングはマネジャーと、食事管理はお母さんと、など「チーム・ボミ」です。

優勝会見でも「私は」ではなくて「私たちは」や「チームで」と言うことが多かったですから。

今、本当に「ありがとう」と「お疲れさま」両方の言葉を伝えたいですね。

INTERVIEW/Kim Myonjyu

PHOTO/Hiroyuki Tanaka、Hiroyuki Okazawai、Shinji Osawa、Tadashi Anezaki

※週刊ゴルフダイジェスト2023年10月31日号「ボミちゃんが日本にくれたもの」より

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