1974年に第一回大会が開催されたダンロップフェニックスは、今年で50周年。半世紀の歴史を振り返る記念大会をゴルフトレンドウォッチャー、コヤマカズヒロがレポート。
画像: 50周年記念大会となった「ダンロップフェニックストーナメント」

50周年記念大会となった「ダンロップフェニックストーナメント」

街全体がゴルフで盛りあがる2週間

今年のダンロップフェニックスは記念すべき第50回大会。例年、フェニックスCCで行われる男子のダンロップフェニックスから、宮崎CCで行われる女子のツアーチャンピオンシップリコーカップの期間は、一年間で宮崎のゴルフが一番盛り上がる期間かもしれない。

画像: 宮崎ブーゲンビリア空港はゴルフ一色になる

宮崎ブーゲンビリア空港はゴルフ一色になる

宮崎ブーゲンビリア空港に降り立つと、そこはプロゴルフのポスターが数多く展示され、それにまつわるイベントが行われている。まさに“ゴルフ推し”の街になるのだ。

マスターズに匹敵する優勝賞金

第一回大会が行われたのは、1974年。優勝賞金は1000万円と同年のマスターズに匹敵するほどの高額で、加えて、ジャック・ニクラスをはじめとする当時の世界トップクラスの選手を招いて開催されたビッグトーナメントだった。第一回大会の優勝者は、解説者としてもおなじみのジョニー・ミラー。その年、PGAツアーで年間8勝をあげ、ニクラス全盛期における最大のライバルだった選手だ。

画像: 50周年を記念して、過去の印象的なシーンが展示された

50周年を記念して、過去の印象的なシーンが展示された

歴代の優勝者の名前はとにかく豪華で、セベ・バレステロス、トム・ワトソン、アーニー・エルス、デビッド・デュバルとメジャーチャンピオンが多数。そして2003年、2004年と連覇を果たすタイガー・ウッズもダンロップフェニックスの歴史を彩った選手だ。

近年では、史上初の米欧同時賞金王になったルーク・ドナルドやその後メジャー優勝を重ねるブルックス・ケプカがともに連覇を果たし、大きな存在感を見せた。そして、ジョーダン・スピースとデッドヒートを繰り広げて優勝をつかんだ2014年の松山英樹も強い印象を残している。

スピースは次の年に、マスターズと全米オープンに勝利して大ブレイクしたが、彼のように、出場後に世界で大きく飛躍する選手が多いのもダンロップフェニックスの大きな特徴と言えるだろう。

なかなか勝てなかった日本人選手

第一回大会から世界の強豪選手を招いたこともあり、なかなか日本人選手が優勝できなかったのも印象深い。初めて日本人が勝利したのは、1985年の第12回大会での中嶋常幸だ。

中嶋は「日本人優勝者第1号になるんだ。自分以外やれない」という気持ちは強かったという。その年、日本ツアー初の年間賞金総額が一億円を超え、選手として絶頂を迎えようとしている時代だ。

画像: 尾崎が優勝時に愛用したJ’sワールドステージ メタル

尾崎が優勝時に愛用したJ’sワールドステージ メタル

そして、次の日本人優勝はさらにその8年後、1994年の尾崎将司まで待たなければならない。尾崎はその年から前人未到の3連覇。1995年は今も語り継がれる18番パー5での劇的な逆転イーグルがある。

当時、熊本で個人的にパターを製作していた増田雄二が、その週に初めて尾崎と対面したという裏話がある。現在はクラブメーカー、マスダゴルフを主宰する増田だが、そのころはゴルフ界とはまったく縁がなかったという。それを機に尾崎のパターを手がけるようになり、翌年の3連覇は増田の手によって作られたパター、「WOSS MO-01」によって達成されている。

50周年を記念する展示の数々

今年は過去大会の写真や優勝者のコメント動画に加え、歴代優勝者の記念品がディスプレイされるなど、第50回という記念大会にふさわしい催しがいくつもあって、ギャラリーの関心をひいていた。

画像: 歴代優勝者の記念品がディスプレイ

歴代優勝者の記念品がディスプレイ

そんな展示の中で印象に残ったのは、1997年に17年ぶりのダンロップフェニックス2勝目をあげたトム・ワトソンのコメントだ。

「48歳の僕のワインは17年たっても酸っぱくなっていなかったね」

こんなシビれるコメントがいくつもあるのは、50年もの歴史のあるトーナメントならではだろう。

今年は杉浦悠太が50年の歴史で初めてのアマチュア優勝を達成。日本人がなかなか勝てなかった時代からは隔世の感があるが、新しい時代の幕開けに相応しいチャンピオンの誕生だった。

写真/コヤマカズヒロ

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