前日に母親から幼なじみの訃報を聞いて……
今大会の開幕時点では5人に賞金王の可能性が残されていたが、最終日の終盤になって争いは賞金ランクトップの中島と同2位の金谷拓実に絞られていた。
金谷の側から見れば、最終戦に望みをつなぐには中島の上を行くしかない。
逆に言えば、中島は金谷と同じ順位で終われば、戴冠が決まる。
「もちろん優勝を目指していたんですけど、終盤になって追いつけないことは分かっていたので、18番(パー5)はイーグルを取って金谷さんとの差をつけたいということだけを考えていました」
そんな思惑通り、グリーン右から12ヤードの3打目を60度のウェッジで沈めてチップインイーグル。
最終組で回る金谷はまだホールを残していたが、中島は賞金王争いの決着を確信したように両手を突き上げた。
前日の夕方に母親から先日幼なじみが亡くなったことを伝えられた。
「全然会えていなかったんですけど、僕のゴルフを応援してくれていることは知っていたので、天国から見守ってくれているような気持ちでした。最後のイーグルも実はちょっと左に跳ねたんですけど、最後にスライスして入ってくれたので、あれは自分の力じゃないと思います」
幼なじみのためにも、ここで賞金王を決めたいという中島の思いが込められた一打でもあった。
来シーズンは海外に主戦場を移す
賞金王と呼ばれることを素直に「嬉しいですよ(笑)」としつつも、まだまだ気を緩めるつもりはない。
「自分は今週勝てなかった選手なので、来週勝ちたいと思っているので、まだ喜ぶのは早いと思っています」
その先に控えるPGAツアーの下部、コーンフェリーツアーのQTに向けても「志高くやっていきたいです」と言葉に力を込めた。
下部ツアーのQTではあるが、トップ5に入れば“飛び級”で米ツアーの出場権が得られる。
賞金王になったことでDPワールド(欧州)ツアーの出場権を獲得しており、いずれにしても来季は海外に主戦場を移すことになる。
プロ12年目の鍋谷太一が涙の初優勝
そんな中島らを振り切って、初優勝を手にしたのは27歳にしてプロ12年目の鍋谷太一だった。
ティーチングプロの資格を持つ父親の手ほどきを受け8歳でゴルフを始めた鍋谷は高校1年でプロ転向。しかし、思うような結果は残せず
「2018年ぐらいはゴルフが楽しくなかったし、離れたいなと思っていました。稼げてなくて赤字で、父の援助でやり繰りしていたので、普通に働いて稼いでいる人に劣等感がありました」
と苦しい時期を過ごした。
それでも、19年の結婚を機にレッスンなどで生計を立てるようになると
「なんとか生きていけるんだと自信がついて、意識も変わってきて、ゴルフも変わっていきました」
昨季は賞金ランク45位で初シードを獲得。そして、たどり着いた初優勝に涙が止まらなかった。
「最後のパットを入れた瞬間に訳が分からなくなってしまって、マジで前が見えない。金谷くんが『おめでとう』と言ってくれてるのに応えられなくて申し訳なくて……」
鍋谷が最後に沈めた60センチのバーディパットも、12年分のさまざまな思いがこもった一打だった。