「逃げて勝ってもおもしろくない。OBを3発同じところへ打つのは俺の勲章だよ」
1971年、彗星のごとくデビューし、たった1年で「日本ツアー」を生み出した尾崎。その尾崎をライバルとして、旧プロ世代を代表する形で台頭したのが青木功だった。先日行われたJGTOの会長退任記者会見でも「ジャンボは嫌うかもしれないけど、生涯ライバル」と語っており、もし尾崎がいなければ、青木も覚醒することがなかったかもしれない。
AO時代(青木・尾崎時代)にさしかかる1979年頃、青木のプレースタイルを表現しながら、尾崎は自分の理想とするゴルフを語っていた。
「例えば、青木選手はアプローチ、パットは世界の3本指に入るでしょう。僕らが2メートル入れる確率と、青木さんが4メートル入れる確率は大体同じだからね。これはドライバーも倍くらい真っ直ぐ飛ばさないと対等に戦えないといってもいい数値だよ。
人より20メートルも先に正確に飛ばすというのは非常に技術的なものが要求されるわけ。しかし、そうしないと青木さんに絶対太刀打ちできない。他の人が6番アイアン持って、僕がピッチング持つから勝負できるんであってね。飛ぶんだからアイアインで刻めというけど、刻んで他の人より前に打って何になる? ただOBを避けてフェアウェイをキープして……それは僕のゴルフじゃない。
また、そこからピンにからませる技術があるのかどうか? 今の僕にはそんな技術はない。だからわざわざ後ろから打つことはないと思っているんだよ。刻んで正確にピンにからませられるんだったら、日本でドライバーは一切使わないよ。
OBを続けて3発も同じところへ打って批判も受けたけど、逃げることなく、最初の意図のボールで攻めたいからね。復習しているのよ。逃げて勝ってもおもしろくないからね。
堂々と王者の勝ち方をしたいと思っているから。不遜に聞こえるかもしれないがね……。だから人より正確に飛ばして、人よりピンに近く寄せる――。この理想を持って技術を究めれば、自ずと青木さんにも勝てると思うのよ。
ドライバーの不調? 長いクラブで距離を落としているというのは、結局、手打ちになっているんだよ。問題は球筋を正確にコントロールするというのは、手先じゃなくて、ボディと思うわけ。スピンの回転数を落としてボディスウィングで、球筋をコントロールできるようなスウィングを求めている。これが正道とも思っている。自分をごまかして勝ってもそこには歓びはない。
青木さんはロングヒッターだったけど、飛距離を10~20ヤード落としても勝負できる考え方に切り替えたわけだ。自分の長所を見つけたともいえる。じゃあ僕の長所はなんなのか? これはロングショットに磨きをかけるほかないということなんだよ」と、尾崎の述懐はここで終わろう。
話は転じて1990年、ヨネックスオープン広島。相手は青木功でなく、AON時代の一翼を担う中嶋常幸。
その時のキャディは佐野木計至。尾崎が投手で4番バッターという徳島、海南高校、春の選抜で優勝した仲間で、学年が1つ下だった佐野木。彼がキャディとして長くバッグを担いだ中で、ベストドライバーショットの1つに数えられるというのが、最終日、最終ホール18番(410ヤード、パー4)のティーショットだ。
同大会、3日目を終えた時点で首位とは7打差あった。これだけ離れていたら優勝は無理だから、思い切って楽しいゴルフをと尾崎と佐野木は話していたという。ところが中嶋とまわることになって、「これは負けるわけにはいかない」と尾崎は発奮したという。前半、中嶋が飛ばし、3バーディ、1イーグルで31。尾崎は34だった。
バック9で尾崎はギアを上げる。11番でバーディを決めると12番パー5ではイーグル。13、14番もバーディ。4ホールで5アンダー。さらにとどめが18番。アドレナリンが噴出したのか、ティーショットが330ヤード飛んだ計算になるという。残りが80ヤードだったから逆算するとそうなると佐野木。「体がきれいに回転して、見事なボディターンスウィングだった。普通のプロには絶対あんなショットは出来ないね。フェアウェイをジャンボと歩く気分は男冥利につきた」と佐野木は後に語った。ビッグショットでねじ伏せた、7打差をひっくり返す大逆転勝利だった。
TEXT/Masanori Furukawa