1960年代から2000年代初頭まで、50年の長きに渡って躍動した杉原輝雄。小柄な体、ツアーでは最も飛ばない飛距離で、当時トーナメントの舞台としては最長の距離を誇る試合で勝ったこともある。2打目をいちばん先に打つのだが、そのフェアウェイウッドが他の選手のアイアンより正確だった。ジャンボ尾崎が唯一舌を巻いた選手で、「マムシの杉原」、「フェアウェイの運び屋」、「グリーンの魔術師」「ゴルフ界の首領(ドン)」と数々の異名をとったのも頷ける話だ。「小が大を喰う」杉原ゴルフ、その勝負哲学を、当時の「週刊ゴルフダイジェスト」トーナメント記者が聞いた、試合の折々に杉原が発した肉声を公開したい。現代にも通用する名箴言があると思う。

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画像: 2011年の杉原輝雄さん(撮影/西本政明)

2011年の杉原輝雄さん(撮影/西本政明)

最終ホールが明日への希望の道<心の巻3>

ーー「最終ホールはプロにとって明日への弾みやが、アマにとっては“壁への挑戦”なんや」

ラウンドで、どのホールが重要やろか? あえてというなら1、18番やろと答えます。この2つはその日のスコアを左右するほどの影響力を持っているんやなとも感じます。特に最終ホールはプロ、アマの両者にとって大切やなと思いますが、その大切さはプロ、アマの“目的”によって違う気がするんです。プロにとって18番は、「明日への弾み」と「賞金」であり、アマにとっては自分の「壁へのトライ」だという風に。

プロの試合の4日間のうち、3日間の最終ホールの出来が次の日のプレーに弾みをつけるきっかけになりますんや。また最終日の最終ホールは、このホールの1打が賞金の金額に直結した形になり、4日間のすべてが凝縮した気がするんいうことで重要と言ったわけです。目の前で起こることがすぐ結果に現れるんで精神的重圧もかかる。それを克服せないかんという意味でも大切なホールなんです。アマの場合はその日限りのプレー、賞金も当然ないんで、こういうことはいえません。いえるのは自分のスコア上の壁ということやろ思います。100の壁、ハーフ単位でなら初の30台など。このホールをいくつであがればと意識した時に重圧がかかるやろ思います。こういう場合、意識するなというほうが無理でしょう。

そこでボクの助言なんやが、前のホールまでのスコアで方針を決めるというのはどうでしょうか? 目標達成まで2打余裕があれば、重圧と戦う。1打だったら潔く色気を捨てる(むしろこうなったときは気楽になって達成の可能性もありますよ)。そういう判断、決断もまた大切なんです。最終ホールの意義いうのを理解してもらえたやろか。

プレッシャーから逃げず、跳び込め<心の巻4>

ーー「痺れるだけ痺れてみるのもひとつの方法や。痺れ慣れからプレッシャー克服術も出てくるかもしれん」

練習場シングルいう人種がいます。ボールを打つ動きはほぼ満点。ところがラウンドしたとたんに練習場での動きの滑らかさが消えてしまうんですね。ラウンドでは、いい球を打ってやろうとか、池を越してクリアしてやろうとか、最終ホール、パーであがれば90の壁が破れるとか意識した瞬間に、体は固まってしまう。よくあることです。

そんなプレッシャーから逃れる術は、練習場のショットのように何も考えず、ひたすらボールを打つことに集中することです。しかし、言うはやすし、人間の欲は実力以上のスコアを望むもんやし、池、OBは怖いもんです。練習場の状態になることはどだい無理のようです。所詮、無理な相談なら、意識すまいとか、プレッシャーから逃れようとかいうのは止めにして、プレッシャーを甘受するようにしたらどうやろか、というのがボクの勧めです。プレッシャーで痺れるだけ痺れてやることです。重圧は逃げようとすればするほど追いかけてきますよ。

ならばこっちからプレッシャーのなかに跳び込んでやろうと。そのとき大事なんはそれで失敗したときに「オレは勝負弱い、情けないやつ」と思わんことです。またプレッシャーに負けたんじゃないと、肩肘張って認めようとしないのも、いつまでも重圧の憑きものが落ちん原因かもしれません。ここは正直にプレッシャーと認めて痺れるだけ痺れてやる。その痺れのなかで経験を繰り返すうちに、痺れ慣れというか、痺れに対処する耐性ができてくるんやないかと思うんです。

文/古川正則(ゴルフダイジェスト特別編集委員)

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