“キング”ことパーマーと最初の奥様ウィニーさんとの出会いは1954年。ブラウン大学の商学部の学生だったウィニーさんは毎年恒例のゴルフトーナメントに出場し未来の夫・パーマーに出会った。
「当時彼はペンシルベニアのアマチュア選手権で優勝したばかり。(トーナメントの週の)火曜日に彼に会い、土曜日には“結婚して欲しい”といわれました」(ウィニー夫人)
プレースタイル同様、速攻で伴侶を決めたパーマーとウィニーさんは2人の娘をもうけた。しかし仲睦まじく45年間連れ添ったウィニー夫人は長い闘病の末、1999年に卵巣癌で亡くなった。
その後パーマーは05年、75歳でキャサリンさん(愛称キット)と再婚。ハワイで挙式を挙げたときには「25歳に戻ったようだ」と喜色満面だった。
帝王ニクラスとバーバラ夫人の出会いは大学時代。オハイオ州立大学で家業(薬局チェーン)を継ぐべく薬学を専攻していたニクラスは同い年で同大の看護学生だったバーバラさんを見初め20歳で結婚。プロ入りする1年前(61年)には長男が誕生していた。
じつはニクラス大学3年まで薬学部だったが4年生で方針を転換。より稼げる保険を学び卒業後、プロ転向するまでの間アマチュアとしてゴルフを続けながら保険のセールスをして家族を支えていた。
夫婦で子供病院を支援するのは大学時代の薬学部&看護学生という背景があったことも大きい。
84歳になった2人はいつも一緒。マスターズではオナラリースターターを務めたニクラスの隣で白いつなぎを着たキャディ姿のバーバラさんが寄り添っていた。グリーンジャケットをまとったニクラスが夫人を背後から抱きしめる、バックハグのシーンを目撃したときには変わらぬ夫婦愛に感動すら覚えた。
南アの黒豹プレーヤーの結婚も早かった。14歳でゴルフ場のフェンスの向こうにいるバーバラさんに心ときめかせ一緒に歩いていた兄に「将来僕はあの子と結婚するよ」と宣言。プレーヤーのゴルフの師匠がバーバラさんの父だった。
やがて21歳のときオーストラリアでプロ初優勝を飾った直後にプロポーズ。おしどり夫婦として知られたがバーバラ夫人は3年前の8月膵臓ガンで亡くなった。
いまは亡き最愛の人を思うときプレーヤーはその独特のグリーングレーの瞳を曇らせ肩を落とす。6人の子供に恵まれた64年間の結婚生活は彼にとってかけがえのない日々だった。