「本当は優勝が良かったんですけれど残念ながら2位という結果になってしまって。でもSNSなどで応援していただいた皆さんから“感動”という言葉がたくさんあって、それはプロとしてうれしかったですね」
終わったときは「残念で悔しいという気持ちが大きかった」というが「(その気持ちは)30分くらいでしたね。よくよく考えたらよくやれたんじゃないかと思えてきてSNSを見たら“感動した”“ありがとう”という言葉があって、やったことの影響を改めて感じました」
反響は日本からだけではない。ロッコ・メディエートやさまざまな選手たちに声をかけられ、ギャラリーからの応援も日に日に増し、ボランティアの人々から「ナイスプレー」と声をかけられた。
「食事に行くとそこにいる人たちが(僕のことを)わかっているんですよ。不思議ですよね。バーに入ろうとしたら“ワァ〜”って騒がれてすぐ逃げてきました(笑)」「試合が終わってスーパーに行ったらそこでもおばさんが“いいプレーだった”といってくれました。“残念だったね”という人はひとりもいなかった。ありがたかったですね」
成果を実感したのは帰国する飛行機の中。「デルタの機内放送でゴルフチャンネルをやっていて映像に自分が映っていたんです。これまでも海外の試合をたくさん観てきましたけどその中に自分がいたのは初めて。あぁ、そういうところまで行けたんだな、と思うとうれしかったですね」
4日目が荒天順延となり迎えた5日目、風向きが変わった。「練習日からずっと同じ風でやってきたので風向きが変わって嫌だな、という気持ちになった」。さらに初日から最終ラウンドの10ホール目までトップを走り残り8ホールで3打のリードという状況に欲が出た。前日まで「楽しもう」と思っていたが「もしかしたら(勝てるかも)」という期待して固くなった。その2つの要素が勝ち切れなかった要因だと分析した。
最終日の前夜、芹澤から「楽しんでね」とメッセージをもらった。「これだけ頑張っている人に頑張れよとはいえない」。優勝したら「日本のシニアオープンと全米シニアオープン、日米両方のタイトルを獲ったね、といいたかったけれど。とにかく彼のゴルフに対する姿勢を尊敬しています」と飽くなき探究心を持ち続けるよくできた弟子を褒めた。
ところで藤田は今回試合用のウェアを4着しか持っていっていなかった。「5日分なかったので最後は2日目に着たウェアをホテルで洗って、ドライヤーで乾かして着ましたよ(笑)。でも優勝した(リチャード)ブランドは5日目も4日目と同じウェアを着てましたね」と彼がいうと会場は笑いに包まれた。
会見後すぐに日本プロの会場(岐阜)に移動。レギュラーツアーの国内メジャーでも「まずは4日間プレーして、予選を通ったら30位以内、それができたら20位以内。いつもと変わらず段階を踏んでいきたい。(今回の準優勝で)勘違いできたらいいですけどね。でも僕はそれができないタイプなので。いつも通りです(苦笑)」
藤田寛之らしさが溢れた会見。いいプレーでしたね。お疲れ様!