
プロ初優勝が初のメジャー制覇となった杉浦悠太(撮影/岡沢裕行)
「泰果さんと最高の舞台で最終日最終組でやらせてもらってよかった」(杉浦)
最終18番、杉浦は奥から1メートルのウィニングパットを慎重に沈めた。
右手でキャップを取り、ギャラリーの拍手を浴びながら晴々とした笑みを浮かべた。死闘を演じた同組の蟬川と軽いハグで健闘を称え合う。スコア提出所に向かう途中では、仲間から手洗いウォーターシャワーの祝福を受け、もう一度心の底から笑った。
優勝決定後すぐに行われたインタビューで熱い思いを口にした。

「(蟬川)泰果さんとはアマチュアのときから一緒にゴルフやらせてもらって、最高の舞台で最終日最終組でやらせてもらってよかったです」と杉浦(撮影/岡沢裕行)
「長い1日だったんですけど、優勝できて本当にうれしいです。暑いですし、優勝争いのプレッシャーがある中で、苦しかったんですけど、パー5でしっかりバーディを取れたのでよかったです。昨日はご飯を食べているときも、今日のことで頭がいっぱいでした。相手のことは考えないようにやりたかったけど、できなかったです。泰果さんとはアマチュアのときから一緒にゴルフやらせてもらって、最高の舞台で最終日最終組でやらせてもらってよかったです」
優勝争いは蟬川とのマッチプレーの様相となった。2打のリードでスタートしたが、9番でボギーをたたき、10番で蟬川がバーディを奪った時点では1打差に迫られた。12番は両者バーディを奪い、蟬川が16番で2メートルのパーパットを外したところで再び2打差がついた。

4日間のパーオン率は70.834%で21位ながら、18アンダーまでスコアを伸ばした杉浦(撮影/岡沢裕行)
577ヤードの17番パー5はお互いにティーショットをドライバーで打ち、杉浦は2オン2パット、蟬川はグリーン右から難しいアプローチを寄せて、ともにバーディ。
そして迎えた最終18番。杉浦は第1打を左バンカーに打ち込み、第2打は右ラフ。第3打もグリーンから戻ってきてしまい、この日最大のピンチに立たされたが、カップまで12ヤードの第4打をパターで奥1メートルに寄せた。蟬川が長いバーディパットを外したのを見届け、落ち着いてウィニングパットを決めた。
「まずは1勝できてうれしいです。そして、それがメジャーでまたうれしいです。今日はずっと緊張していました。(蟬川が優勝した一昨年の日本オープンでは)この人には勝てないというくらいすごいプレーを見せつけられました。そんな選手に競り勝てたことがよかったです」
「たくさんのギャラリーが来てくれる人気のあるゴルファーになりたい」(杉浦)
記録付きの優勝だった。昨年のダンロップフェニックスでアマチュア優勝を果たし、その日のうちにプロに転向してから12試合目での今大会制覇は、2009年の池田勇太の16試合を更新する最速V。
日本プロ初出場初優勝は同年池田に続き大会史上5人目。
第1日から4日間首位を明け渡さない完全優勝は昨年の平田憲聖に次ぎ大会史上9人目(10例目)となった。
杉浦は2001年9月12日、愛知県高浜市出身。3歳からゴルフを始め、福井工大附属福井高2年の日本ジュニアで1学年上の中島啓太らを抑えて優勝した。
高校時代からナショナルチームでも活躍し、日大3年の2022年ノムラカップアジア太平洋アマで個人1位になり、団体も優勝。昨年11月のダンロップフェニックスで史上7人目のアマチュア優勝を達成し、プロ転向は優勝したその日のうちだった。
過去に日本プロ初出場初優勝を果たした池田はその後、通算21勝をマーク。倉本昌弘は通算30勝を挙げて永久シード選手になった。この優勝で複数年シードも獲得し、先人に続けとばかりに、今後の夢は大きく広がる。
「残りの試合で何回も優勝できるように頑張っていきたい。賞金王を目指しています。海外にも行きたいと思っているので、複数年シードはうれしいです。メジャータイトルを獲得したので、どこへ行ってもたくさんのギャラリーが来てくれる人気のあるゴルファーになりたいです」
低迷期脱出の風が吹き出した男子ゴルフ界。その新たな救世主へ、杉浦がさっそうと名乗りを上げた。