スウィングは父の手製の鳥かごで作った
杉浦悠太はジュニア時代、2013年のゴルフダイジェスト・ジャパン・ジュニアカップの9~11歳の部で2位に入賞。
その後、2017年、中学3年生で週刊ゴルフダイジェストの連載「武市悦宏 雑巾王子のキミこそ王子だ!!」に登場している。
父・博倫(ひろみち)さんの自作の鳥かごで練習に励む杉浦を取材し、武市プロが
「鳥かご練習はつまらないという人も多いけど、実は気持ちよく振るという、ゴルフで一番大切な感性を磨くにはもってこいなんだ。彼の将来性を確信した」
とある。
それから6年弱。杉浦はプロのビッグトーナメントを制した。
ダンロップフェニックスでは2位に4打差をつけてのスタート。それでも
「差がないような気持ちでプレーしました」
実際、11番、12番でダブルボギーとボギーを叩き、
「そこで2打差になったので、緊張が止まらなかったです」
それでも、杉浦は緊張していることを「受け入れた」という。
「こんなところでプレーできるのは初めて。楽しむしかない」
と。目標にしてきたドライバーを振り抜くことも
「4日間通してできたと思います。4日間ショットの調子を維持するのが課題の一つだったけど、最後まで思うようなスウィングができていた」
もともと曲がらないショットが杉浦の特徴だったが、大学に入りトレーニングが増えたことで飛距離が伸びたと自己分析。
試合後、すぐにプロ転向宣言。
「将来は海外でプレーするのが目標」
だが、そのためにはまず日本ツアーで優勝したいという目標を立てていた。カシオワールドとJTカップももちろん狙いにいった。
ちなみに、ダンロップフェニックスの優勝者の副賞として宮崎牛をゲットしたが
「好きな食べ物は焼き肉。宮崎牛は2日目が終わった夜に食べました」
とのこと。休日の過ごし方は
「友達と映画を見に行ったり、テレビゲームをしたりしています」
という、ごくごく“普通の”青年だ。
「謙虚で、一球一球を丁寧に打ち、自分で咀嚼しながら練習する子」(奥コーチ)
杉浦悠太が、小学6年生の時から指導を受けているのがETGA愛知校インストラクターの奥雅次プロ。
「実はETGA愛知校の第1号生徒が悠太なんです。2013年に開校する直前に、知人を通じて『入校します。よろしくお願いします』と紹介されたのが始まりでした。以来11年間、悠太を見ていますが、叱ったことが一度もありません。ゴルフに対してとても謙虚で、一球一球を丁寧に打ち、自分で咀嚼しながら練習する子です」(奥プロ・以下同)
がむしゃらに数を打つタイプではなく、練習の6割がドリルによる確認作業だという。
「両腕の間、胸の前に大きなボールを挟んでのハーフショットと、左右の前腕にバンドを付けそこにスティックを通して、前腕とスティックで作る三角形の面を意識したハーフショットやスリークオーターで打つドリル。左右片手打ちアプローチを含めたドリルによる練習は、何年もずーっと続けています。もともとアームローテーションが過度になりやすいタイプで、本人もそこは自覚しているはず。だからこそ、ただ打つのではなく、こういったドリルで『スウィングを整える』ことに重きを置いているのだと思います。練習打席でのフルショットの数は本当に少ないですね」
日本大学に進学してからは、月イチほどのペースでしか会わなくなったが、そのぶん動画でのやり取りが増えた。
「スウィングやプレー中の動画をよく送ってくるようになりました。動画が届くときは、調子が今イチのことが多いので、チェックポイントや意識すべき点を伝えます。優勝したダンロップフェニックスの週の練習日にも送ってきました。その動画を見ると、切り返しからダウンスウィングでシャフトが暴れ気味でした。大きな大会への挑戦でしたが、現実的には(切り返しの)レイドオフの度合いなどを整えながらプレーして、12月のQTファイナルにつなげていこうと話していたんです。そうしたら、カチッとはまって優勝ですから。”QT”が”JT”(ゴルフ日本シリーズJTカップ)に代わっちゃいました(笑)」
素直で謙虚な性格の通り、ストレートからわずかなフェードが持ち球で昔からショットは安定していたがグリーン上に弱点があった。
「中学生の頃、短いパットを時折外していたので、『ショットがいいのにもったいないよ』と、ショートパットに特化してクロスハンドグリップを始めました。そして、今に至ります」
今では、パッティングは長所のひとつと言えるまでになった。
杉浦悠太のプロ生活は始まったばかり、彼の今後に注目してほしい!
※週刊ゴルフダイジェスト2023年12月12日号「ダンロップフェニックスV 杉浦悠太はこんな選手」より