1960年代から2000年代初頭まで、50年の長きに渡って躍動した杉原輝雄。小柄な体、ツアーでは最も飛ばない飛距離で、当時トーナメントの舞台としては最長の距離を誇る試合で勝ったこともある。2打目をいちばん先に打つのだが、そのフェアウェイウッドが他の選手のアイアンより正確だった。ジャンボ尾崎が唯一舌を巻いた選手で、「マムシの杉原」、「フェアウェイの運び屋」、「グリーンの魔術師」「ゴルフ界の首領(ドン)」と数々の異名をとったのも頷ける話だ。「小が大を喰う」杉原ゴルフ、その勝負哲学を、当時の「週刊ゴルフダイジェスト」トーナメント記者が聞いた、試合の折々に杉原が発した肉声を公開したい。現代にも通用する名箴言があると思う。
画像: 97年5月の杉原輝雄

97年5月の杉原輝雄

飛ぶ人は両刃の剣を呑んでいる

ーー「飛ぶことは曲がることの両刃の剣やろ。相手かて苦しいと思えば本質は五分と五分やろな」

よく飛ぶという人はそのことは優れているけど、マイナスのこともあります。真っ直ぐ飛んでいるときは優勢ですが、曲がり始めるとそれが仇になります。ボクなんか曲がってもOBまでいかんところでも、飛ぶ人は軽々と白杭を飛び越してしまうことだってありますんや。距離が出る分だけケガも大きいというわけで、両刃の剣なんです。ボクなんか飛ばん悩みはあっても、飛びすぎることでのケガはない。

だからそこのところをしっかり把握しておれば、精神的にも楽になれます。どんな大きな相手でも、何らかの苦しみは持っていると考えれば自分の苦しみも半減されますよ。

そこから導き出される結論は、本質は五分と五分やいうことです。ボクには飛ばないハンディがあり、同時に相手は飛ぶことが命取りになる場合があるんです。それに飛距離というものはおのずと限界があります。短いパー5はともかくとして、普通のパー4では1オンすることはできません。飛距離というものを表面的にだけとらえると、そこのところが見えなくなってくるんです。

ボクが小さな体で長くプレーできたのも、すべて表面的なマイナス要因を度外視することで可能になったんだと思ってます。

好きな言葉があります。

「人間の能力にはそんなに差はない。やる気さえあれば、誰でもたいていのことはできる。大切なのは、必ずやれる、というひとつの信念を持つことだ」

アマチュアより飛ばんボクが、これまでやってこれたのも、信念だけはずっと持ち続けていたということやないでしょうか。

グリーンは逃げていかない

ーー「ジャンボ尾崎選手にグリーンは近く、自分には遠い。しかしそれでもグリーンは逃げていかないんや」

 ボクがフェアウェイウッド(FW)を多用して、「フェアウェイの運び屋」などといわれるようになったんは、実はジャンボ尾崎選手に対抗するための方策の結果だったんです。

尾崎選手がプロ野球からゴルフ界へと転進し、デビューしたときのボクのショックは大きかった。ドライバーショットはどこまで飛ぶんやって固唾を飲んで見てました。こらあかん、いくらドライバーに磨きをかけても対抗はできんと思いました。そこでそれに対抗できる武器をと思って、それまで大して重要視されてなかったFWに目をつけ、一日何百発と練習してモノにしたわけです。もしあの時、尾崎選手の飛距離を見て、自分も……と追っかけていたら今の自分はなかったと思います。

きっかけは交通渋滞でした。目的地はすぐそこに見えているのになかなか着かん。イライラが高じて怒鳴ったりしてるうちに「まあぼちぼち行こう、そのうち着くやろ」とつぶやいた後、尾崎選手に対抗する術に気がついたんです。目からウロコって感じでした。

「そうや、グリーンかてじっとしとる。逃げていかへんやないか」

尾崎選手の2打目はずっとグリーンに近い。ボクははるか手前でグリーンからは遠いわけです。しかしそれでもかまへん、グリーンはそれ以上遠くならん。あわてることなどない、そこから乗せることができれば、何もオタオタすることはないという考えに至ったのです。それにはFWだと......。そこから杉原は乗せてくるだろう、ピンに絡ませてくるだろう、そう相手に思わせるようになろうと思ったのです。それから尾崎選手の飛距離に対する恐怖心はなくなっていきました。

文/古川正則(ゴルフダイジェスト特別編集委員)

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