新帝王といわれ、一時代を築いたトム・ワトソンに関するこのレポートは2010年に執筆した。この年の前年(2009年)に、59歳のトム・ワトソンは6度目の全英オープン優勝を目指し、プレーオフを戦った。結果的には敗れはしたものの、世界中から賞賛の声が止まなかった年である。その当時の、つまり60歳のワトソンの全体像に迫った。いま読んで懐かしいと思われる人が一人でもいてくれれば幸いである。※『書斎のゴルフ』に掲載された全10回の記事を筆者(特別編集委員・古川正則)本人が加筆修正した。
画像: 優勝カップを手にするワトソン

優勝カップを手にするワトソン

一度決めたらスウィングも友情も用具も一筋。

60歳になっても、若いときの原型はしっかり残す。

ワトソンはこのようにスウィングも一度決めたらどこまでもというところがある。これはワトソンの人生の航跡をみればよく理解できる。

例えば専属キャディだったブルース・エドワードとのこと。出会いはワトソンが24歳、1973年のことだった。途中、80年代、ワトソンが不調の頃「君も生活が大変だから」と一度は解雇したのだが、ブルースは「不調なときだからこそ、2人で乗り切ろう」とコンビを復活している。

以来、兄弟のようにして、04年、ブルースが筋萎縮性側索硬化症で亡くなるまでその仲は続いた。

09年、142年ぶりの全英オープン最年長勝利を逃したあとのインタビューで「スピリッツ(霊性)を感じた。コースには何かがいた。その何かの目に見えない力が私を引っ張ってくれたのかもしれない」と話した。その何かとはブルースのことだと。77年、同じコースでニクラスと死闘を演じたとき、かたわらにはブルースがいたのである。

契約関係でも一度結ぶと変えない。ウェアはポロ。用具はラム。

クラブセッテイングも不変。ウッドはドライバー、スプーンの2本。アイアンのロフトも、ウェッジ2本(PW、SW)の長さもロフトもプロ入り以来不変。ただ変えたといえば、1、2番アイアンをユーテリティに変えただけ。パターもピン型を使い続けている。一度決めたら一筋。スウィングだけではなかった。

人工股関節手術の成功でスウィング再生

さらに、スウィング論を進めていこう。

ワトソンは08年に人工股関節の手術をした。このことが今のワトソンのスウィングを文字通り支えていることは間違いないだろう。09年のターンベリーで全英を観戦したプロゴルファーの倉本泰信は『週刊ゴルフダイジェスト』に次のようなコメントを寄せていた。

「技術的には往時よりトップがコンパクトになり、クラブフェースがシャットになる悪い癖がなくなっていた。インパクト以降でのフックを警戒するがための腰のスライドもなくなり、股関節の上で効率よくボディターンが行われていた。トレードマークであった逆Cの字型のフィニッシュもなくなり、体に無理のないスウィングに変わっていたが、往年の鋭い腰の回転、インパクトまでは決して開かない上半身の使いかたは変わりがなく、厚いインパクトでボールをとらえていた」

このコメントで一番アマに参考になるのは「股関節の上で効率よくボディターンがおこなわれていた」ということだろう。トップでは右股関節の上に体重が乗り、フィニッシュでは左股関節に乗っている。人工股関節の手術前まではこの体重の移動がスムーズではなかったのだろう。股関節をどう使うか ?

スウィングにおいて重要な要素である。

過去記事はこちらから !

This article is a sponsored article by
''.