ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロ。今回は、今季、ドミニカで通算8勝目の復活優勝を果たしたビリー・ホーシェルについて語ってもらった。
画像: 「大学の終わり頃からずっとコーチとスウィングを作ってきた。動作を極端に変えることはせずに、新しいプレショットルーティンを取り入れたり、アドレスを少し変化させたりしながら、丁寧に基本に忠実に作り上げてきた印象です」と佐藤プロ(PHOTO/Tadashi Anezaki)

「大学の終わり頃からずっとコーチとスウィングを作ってきた。動作を極端に変えることはせずに、新しいプレショットルーティンを取り入れたり、アドレスを少し変化させたりしながら、丁寧に基本に忠実に作り上げてきた印象です」と佐藤プロ(PHOTO/Tadashi Anezaki)

ビリー・ホーシェルの昨年は、キャリアのなかでワーストシーズンに終わりました。シード権こそ確保したものの、フェデックスランクは110位。象徴的だったのは前回優勝者として出場したザ・メモリアルで、初日に84の大叩き。

受けなくてもいいインタビューに応じたものの沈黙が続き、「ひどいゴルフをしているが、いいゴルフはそんなに遠くはないと信じている。もっともスコアが出ないので、信じてもらえないかもしれないが……」と、ようやく絞り出した言葉は痛々しいものでした。

その彼が今季、ドミニカで通算8勝目の復活優勝を果たします。メジャーに関しても、これまで13年の全米オープンで1回しかなかったトップ10フィニッシュを今季は全米プロで8位、全英オープンではX・シャウフェレに逆転こそされましたが優勝争いを演じた末の2位。最終のツアー選手権に進出し、3週間後には欧州ツアーのBMW PGA選手権で3年ぶり2回目の優勝を果たします。

昨年の不調のきっかけは、前年のプレジデンツカップにあるように思います。メモリアル優勝後に調子を落とし、結果は1勝2敗。その1勝もダブルスでのマックス・ホーマの活躍によるもので、ホーシェルは3マッチしか出場できず。エリート中のエリートで、14年に年間王者に輝くも、まだ本当のスター選手になり切れていないのはメジャーと米国選抜での活躍に乏しかったからでしょう。

実はホーシェルといえば、アメリカのコアなファンがまず思い浮かべるのがフロリダ大時代、アイルランドのロイヤルカウンティダウンで開催された07年のウォーカーカップ。2日間ともシングルスは午後に開催されますが、対戦相手はローリー・マキロイ。アイルランドのギャラリーをあおる20歳のホーシェルに対し、母国をナメるなと意気込む18歳のマキロイ。

血気盛んな若者2人の、声が枯れるまでの喧嘩さながらのファイトは、今でもファンの語り草になっているほど。

つい最近もマキロイがあるプロゴルファーのポッドキャストに出演したときの質問で「07年のウォーカーカップのホーシェルと、16年のライダーカップのパトリック・リード。どちらの顔面を殴りたい?」との質問に、間髪入れずに「ホーシェル」と答えたほど。実は結果は1勝1敗で、決着はついていません。なぜなら22年のプレジデンツカップが、プロとして選ばれた初の米国選抜だったからです。その大会で活躍できず……。

復活のきっかけは、前出のザ・メモリアルのインタビューだったのではないでしょうか。アメリカ人には珍しく熱いタイプで、歯に衣着せぬ発言も多いホーシェルですが、心の奥底にある苦しみを吐露したことで少し闇が晴れたのかなと思うのです。

マキロイとは今は大の仲よし。アメリカで人気のあるアイリッシュと、欧州で人気のあるアメリカンという関係も面白い。

来年はニューヨークで開催されるライダーカップ。今度こそマキロイとの決着、何より2人のアツい戦いを皆が望んでいます。

※週刊ゴルフダイジェスト2024年12月10日号「うの目 たかの目 さとうの目」より

ホーシェルが優勝した22年のメモリアル

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