有村智恵

2013年から4年間アメリカで戦った有村智恵。1987年、熊本県生まれ(撮影/岡沢裕行)
JLPGAツアー14勝。2013年から米LPGAツアーに参戦し同年シード権獲得。14年シード権喪失し、15年は下部ツアーで戦う。16年に国内ツアー復帰。
有村智恵に聞いた一問一答 !
――有村プロがLPGAツアーに挑戦した頃は、スポット参戦が多かったんですね。
有村 そうですね。私も(米LPGAツアーに行かずに)日本でずっとやるだろうと思ってましたね。何より観客の多さが日本のほうが多くてその中でプレーする楽しさを感じていたんです。でも初めて米LPGAツアーに参戦した際、自分は日本でそれなりの成績を出して臨んでいるという自負があったのに、試合では、自分の技術の引き出しの少なさに“絶望感”を覚えて日本に帰らされたんです。
自分がすごく下手に感じて。悔しさもあって日本で技のレパートリーを増やそうと思っても、日本の試合ではそういう技を求められる状況が少ないわけです。じゃあ、そこを究めるためにはアメリカに行くしかないってなって本格参戦を決めたんです。
【1】有村が考えるLPGAツアー
「楽しいのは日本。技術を磨けるのがLPGAツアー」
――その時にLPGAツアーで感じた差は何ですか。
有村 一番はアプローチです。例えば西海岸の芝は北海道の洋芝とはレベルが違うまとわりつくねちっこさがあったり、地面が硬いのでフェアウェイからでも、クラブを綺麗に入れないと寄らないような状況とか多くのバリエーションが必要なんです。そういう技を練習できる環境がアメリカには整っているんです。だからアプローチ練習は何時間も費やしてもまだ足りず、これもやりたいあれもやりたいということが出て来て、すごく楽しかった記憶があります。
【2】有村が考えるLPGAツアー
「コース、文化、移動距離……日本とは異なることがほとんどだった」
――“究める”ために米LPGAツアーに挑むこととなりましたが、ツアーで最も大変だったことは何ですか。
有村 移動ですね。例えば西で試合があって次に東で試合がある時は、夜の8時便だと東に着くのが夜中の2時、3時。この移動時間が当たり前でしたし、ロストバゲージのリスクも高いし大変でした。そして英語もストレスでした。キャディがアメリカ人だったので英会話もですけど、欧米は自分の意見をハッキリ言う文化なので、それが大変で。日本だとコーチやキャディさんに「私の今のゴルフどう? 何が悪いと思う?」とこちらが聞いて答えを求めるけど、海外では逆に「アナタは何を、どうしたいの?」って聞かれるんです。
基本的に、受け身の姿勢だと何もしてもらえないし、何も教えてもらえない。私は元々受け身の性格だったので、最初はそれに戸惑い、孤独感もありました。2年目からは頑張って輪の中に飛び込んでいくとすごくウェルカムで、英語があまり喋れなくてもそれなりにコミュニケーションを取ってくれて。それからツアーも楽しくなりましたね。
メジャーの初戦の「シェブロン選手権」は池ダイブが恒例

シェブロン選手権恒例の飛び込み!(撮影/Getty Images)
優勝者の恒例行事“池ダイブ”、最初は88年の勝者のエイミー・アルコット。当時のミッションヒルズCCは後に池底をコンクリート敷きにして優勝者は綺麗な水へ安心してダイブできた。現在のザ・クラブ at カールトンウッズは自然の池でウミヘビがいるとも言われているので、優勝者は“決死のダイブ”となる。
LPGAツアーの歴史:1
始まりは約60年前にさかのぼる

全米女子プロゴルフ協会(LPGA)ツアー創設75年目の2025年シーズンは、全35試合で賞金総額は1億3100万ドルで過去最高額を更新。
LPGAツアーの歴史:2
日本人は過去最多人数で世界4番目の勢力

TOTOレディス優勝で出場権を勝ち取った竹田麗央を含め、日本選手のシードは8人。アメリカ、韓国、タイに次ぐ一大勢力となった。
LPGAツアーの歴史:3
日本人はトータル60勝を挙げている

左:岡本綾子/右:宮里藍(2017年全米女子オープン 撮影/南しずか)
日本人優勝者は20人で通算60勝。最多17勝の岡本綾子は1987年に米国人以外で初の賞金女王に。9勝の宮里藍は2010年に日本人年間最多5勝を挙げ同年世界ランク1位に。
米LPGAツアーに参戦する日本勢は13人

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上段左から(シード権):古江彩佳/渋野日向子/笹生優花/畑岡奈紗
中段左から(シード権):西郷真央/西村優菜/竹田麗央/勝みなみ
下段左から(最終予選突破):山下美夢有/岩井千怜/岩井明愛/吉田優利/馬場咲希
LPGAツアー豆知識

日本人最初のルーキー・オブ・ザ・イヤーは小林浩美(撮影/大澤進二)
日本人初の「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」獲得者は1990年の小林浩美。その後も西郷まで獲得者はいなかった。
撮影/Blue Sky Photos、姉崎正、大澤進二、岡沢裕行、有原裕晶
※月刊ゴルフダイジェスト2月号「米LPGAツアーガイドBOOK」から一部抜粋