現在、世界的に評価を得ているコースは1930年代までに造られたという事実がある。
歴史を振り返ると、近代に入り、新世界アメリカに移住したスコットランド出身のプロゴルファーのドナルド・ロスをはじめ、スコットランドで学んだアメリカ人チャールズ・B・マクドナルドなどコース設計の先駆者が現れた。そして、1913年の全米オープンにアマチュアのフランシス・ウィメットが優勝するとゴルフは急激に発展していった。

今もなお、設計家の意思が引き継がれる伝統あるゴルフ場
19世紀の終わりには数えるほどしかなかったアメリカのゴルフ場だったが、1930年までにその数は膨れ上がり、100年経った今でも名コースとして残っているコースも多い。
そんな名コースを造成した設計家たちを紹介していこう。

当時の設計家たち
【オールド・トム・モリス(1821〜1908)】
最初の本格的なコース設計家
機織り職人の息子として生まれ、10歳でゴルフを始めたトム・モリスは、14歳になると世界初のプロゴルファーとされるアラン・ロバートソンに奉公する。ロバートソンはセントアンドリュースのコースを経営し、ゴルフ用具の製造も行っていた。
モリスは4年間の奉公後に5年間職人として仕え、ロバートソンの試合のパートナーとして腕を磨き、2人は”無敵”と呼ばれるようになった。

1860~72年まで全英オープンが行われたプレストウィックGCはトム・モリスの所属コースだった。ゴルファーなら一度は訪れるべきコースだ
だが、高額だった”フェザーボール”の製造で大きな富を得ていたロバートソンは、モリスが新素材ボール”ガッタパーチャ”を使ったことに激怒して1851年に解雇してしまう。
そのためモリスは開場準備をしていたプレストウィックGCに移籍してコースの設計、管理、ゴルフ用具の販売を手掛けた。65年になるとプロ兼グリーンキーパーとしてセントアンドリュースに復職。芝の成長を促すためグリーンに砂を入れることを考案。砂の裸地をバンカーとし、ヤーデージ標識の設置、グリーンの芝刈り機を導入、ティーイングエリアの造成などを初めて行った。

コース設計家として活躍したが、1861年の第2回全英オープンで優勝すると、62、64、67年も制覇しプロとしても偉大だった。写真は設計したロイヤルドーノックGC
42年に初めてカーヌスティGCの10ホールをレイアウトし、レディバンクGC、プレストウィックGC、ミュアフィールドGC、マクリハニッシュGC、セントアンドリュースのジュビリーコース、ロイヤルノースデボンGC、ラヒンチGCなど数多くのコースを手掛けた。

トム・モリスは砂のくぼみを整えてバンカーとし、バンカーの縁が崩れないように芝を積み上げた「ソッドウォールバンカー」を考案
【ドナルド・ロス(1872〜1948)】
スコットランド移民のロスは生涯413コースを設計
1872年にスコットランドのドーノックで生まれたロスは、10代でセントアンドリュースに赴き、トム・モリスのもとでコース管理、ルーティングなど、設計について多くを学んだ。ドーノックに戻ると6年ほどプロ兼グリーンキーパーとして働いた後、身の回りの荷物と所持金2ドルだけを手に新天地アメリカに向かった。

2024年の全米オープンはパインハーストNo.2(18H・7588Y・P70 )で行われた
そしてボストンでジェームズ・W・タフツに出会ったことが後に幸いすることになる。なぜなら富豪のタフツ家にはパインハ―ストGCを建設する計画があったからだ。
オークリーCCで働き、1900年にノースカロライナ州に移住しパインハーストのプロに就任。ここでプロとして働き始め、パインハーストのNo.2を手掛けている。ロスが優れていたのはコースのルーティングだった。

No.2をラウンドするドナルド・ロス
13年、アマチュアのフランシス・ウィメットが20歳で全米オープンに優勝するとアメリカは空前のゴルフブームとなり、10〜36年のに5000コースも造られたことで、この時代を「コース建設の黄金時代」と呼ぶ。
ロスはパインハ―ストNo.2をはじめ、サイオトGC、オークランドヒルズGCなどの名コースを含め、実に413コースを設計している。大半は、パインハーストNo.2の3番ホールに隣接する自宅内で構想を練り、設計図を完成させていたことから、建設現場をほとんど訪れていないとされるが、実際に土を動かして造成するシェイパーの卓越した技量と優れたルーティングによって、いずれのコースも高い評価を得ている。

1929年に設計したセミノールGCはフロリダの海岸に造られたリンクスタイプのコースで「今までデザインしたなかで最高とは言わないが、私はとても気に入っている」と語っていた。ベン・ホーガンお気に入りのコースでもある
【チャールズ・ブレア・マクドナルド(1855~1939)】
全米ゴルフ協会を設立し「米国コース設計の父」と呼ばれた
スコットランド人の父とカナダ人の母を持ち、カナダで生まれ、シカゴで育った。16歳でセントアンドリュース大学に留学し、トム・モリスにゴルフを教わり、当時のトッププロと互角に戦えるほど上達した。

海岸の高台にレイアウトされたミッドオーシャンGC
94年にニューポートCCとアメリカ最初のゴルフ場のセントアンドリュースGCが個別に全米選手権を開催し、マクドナルドは両方に参戦していずれも2位になったが、両大会ともかなり杜撰でルール自体も統一されていなかった。
その年の秋になりマクドナルドが設立したシカゴGCをはじめ、セントアンドリュースGC、ニューポートCC、ザ・カントリークラブ、シネコックヒルズGCの5クラブが集まり公式戦、統一ルールの制定などを決め、全米ゴルフ協会(USGA)が設立された。

ミッドオーシャンGCでは海をウォーターハザードにして斜めに横切って攻める“ケープホール”を考案。現在でも多くのコースがこのデザインを採用している
1900年ニューヨークに移住してモルガン・スタンレー・ウェルスマネジメントの共同経営者となる。当時のゴルフ場は、さほど高い戦略性を備えておらず、スコットランドのようなリンクスをアメリカに再現できないかと各地を巡り、ニューヨーク郊外ロングアイランドのサウサンプトンを探し当てた。
有志70名を集めナショナルゴルフリンクス・オブ・アメリカを設立し09年開場。その後、コース設計家セス・レイノアと共同で多くのゴルフ場を手掛け、14年ザ・グリーンブライヤー、セントルイスCCを開場、16年シネコックヒルズGCを改修した。

スコットランドのような戦略的なリンクスを造ろうとニューヨーク郊外にナショナルゴルフリンクス・オブ・アメリカを完成させた
28年に”Scotland’s Gift : Golf(スコットランドの贈り物:ゴルフ)”を出版。マクドナルドが手掛けた多くのコースが現在でも原形をとどめていて、いかに基礎デザインが優れていたかがうかがえる。

シカゴGCは1892年に9ホールで誕生し翌年18ホールとなり、全米初の本格的18ホールのコースだったが、94年現在地に移転。旧コースはダウナーズグローブGCとして現存している
【ハリー・シャプランド・コルト(1869〜1951)、チャールズ・ヒュー・アリソン(1883〜1952)】
近代工法を確立させた
ケンブリッジ大学で法律を学んだコルトは弁護士だった。サニングデールGCのセクレタリーとして働いた後にチャールズ・H・アリソン、アリスター・マッケンジーらとコース設計事務所を開設している。コルトは主に英国やアイルランド、デトロイトに支社を設置したアリソンはアメリカを担当した。
コルトはゴルフプレーにおいて何ホール印象に残るか、つまり”メモラビリティ”を考えてホールのルーティングを重視。そのうえで視覚的な要素を含めてのバンカリングや非対称になるハザード配置などを実現させていった。

コルト設計コースのなかでサニングデールGCニューコース(上)ロイヤルポートラッシュGC(左下)は代表作といえる
これらの要素が作用することにより、その日の天候や季節によってゴルフというゲームはより複雑になり、面白くもなり、コルトは「完璧主義」を具現していった。
一方、アリソンは、オックスフォード大学で造園を学びゴルフ部で活躍した。1903年のアメリカ遠征では6勝無敗という成績を収め、イングランドアマ選手権は2度優勝をしている。
アリソンがアメリカに赴いた頃、時はゴルフブームであったこともあり、コルトの思想に準じたコース設計で多くの傑作を生み出した。

アリソンの自信作、ニューヨーク州にあるティンバーポイントGC。コースは公営パブリックとして現存するが、相次ぐ改造により当時の面影は全くない
30年11月25日にデトロイトからバンクーバー経由で横浜に到着したアリソンは、翌年の4月9日に神戸から離日するまでの間、東京GC朝霞コース、廣野GC、そして川奈ホテル富士コースを検分( 図面は帰国後に送られてきた)、霞ヶ関CC東コース、藤澤GC、茨木CC、鳴尾GCへの改造アドバイスなど、多くの宝物を日本に遺した。

アリソンはパインバレーの設計以降、バンカリングに変化が表れたとされる。川奈ホテルGC富士コースは、原形をほぼ保っている数少ないコースで高い戦略性を誇る。3番ホール(上)、15番ホール(下)、は味わい深い
日本のコース設計の源流は間違いなくアリソンから端を発したものと断言できる。(つづく)
構成・翻訳/吉川丈雄(特別編集委員)
参考文献/American Golfer、THE GOLDEN AGE of GOLF DESIGN、
GOLF COURSE GUIDE TO THE BRITISH ISLES、
The World Atlas of Golf、The Glorious World of Golf、The MacKenzie Reader
※週刊ゴルフダイジェスト1月28日号「珠玉のコースを造った設計者たち」より