世界でもっとも有名なゴルファー、タイガー・ウッズの母クルティダさんが去る2月4日還らぬ人となった。享年80歳。PGAツアー最多の通算82勝を挙げた息子は「彼女なしでは私のいかなる記録も実現できなかったでしょう」とSNSにコメントした。

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1944年タイのカンチャナブリに建築家の父と教師の母、4人兄妹の末っ子として誕生したクルティダさんは就業年齢になると首都バンコクに移り住み、ベトナム戦争中に米軍基地で事務作業をおこなう民間秘書となった。

彼女はそこで運命の出会いをする。特殊舞台グリーンベレーに所属していたアフリカ系アメリカ人、アール・ウッズ氏と出会うのだ。そして2人は69年に結婚。

画像: タイガー・ウッズと母クルティダさん(写真は2000年の全米オープン)

タイガー・ウッズと母クルティダさん(写真は2000年の全米オープン)

その後2人はアメリカに移住。しばらくニューヨークのブルックリンで生活をしたがやがてカリフォルニアのサイプレスに移り住むことに。

その地で75年12月にウッズ家の長男にして唯一の息子エルドリックが誕生する。つぶらな瞳を持つ赤ん坊はのちに父の親友の名前をとりタイガーとなりゴルフ界を背負うことになる。

幼少期すでにテレビ番組に出演し、天才キッズと騒がれたタイガーのコーチである父は表舞台に立ったが、母はスポットライトを浴びることを好まなかった。

しかし「生涯に渡る価値観を僕に植えつけてくれたのは母でした」とタイガーは語っている。

最終日に赤いウェアを着るのも母の影響。タイ人の彼女は息子のパワーカラーをアマチュアの頃からいい当てタイガーはサンデーレッドで82勝を挙げてきた。

晩年はタイガーのTGR財団の理事として主に母国タイでの慈善活動に力を注ぎ、孤児や虐待を受けた少女たちのために仏教女子修道院学校や精神障害児のための施設を設立した。

クルティダさんが生きていた頃タイガーは「母はとても厳しい老婦人で要求が厳しい。私は母を愛しているけれど、いまでも母を死ぬほど恐れている」と語ったことがある。

母は強し。タイガーをタジタジにさせた彼女はかつてこんなことをいっていた。

「私は感情を表に出さないんです。息子が初めてマスターズで優勝したときも、ペブルビーチで全米オープンに勝ったときも泣きませんでした。でもセントアンドリュースで彼がグランドスラムを達成したときすべての観客がスタンディングオベーションで手を振り拍手をするのを見て『あれは私の息子だ』と思って涙をこぼしました」

クルティダさんのご冥福を心よりお祈り致します。

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