河本結
1998年愛媛県松山市出身。リコー所属。5歳でゴルフを始め、松山聖稜高を卒業、日本体育大学在学中の18年プロ入り。この年ステップ・アップ・ツアーで4勝を挙げ賞金女王に。19年にレギュラーでも初優勝し、同年米LPGAのQシリーズで9位に入りアメリカへ。21年から主戦場を再び日本国内へ戻す。23年のQTで4位に入り、昨シーズンを迎えていた。
「“私”、見つかりました」

「私としては『誕生』という感じなんです」
昨シーズンの河本結は、5年ぶりの2勝目を挙げ、メルセデス・ランキングも7位と「復活」と呼べる活躍をした。河本自身は「復活」と言われることに、どんな思いがあるのか。
「何と言われてもいいんです。でも、私としては『誕生』という感じなんですよ」
きっぱりと言う河本結の横で聞いていた弟の力が「おー、カッコいい、力強いわ。『誕生』に乾杯!」と感心しながら笑う。
「名言でしょう(笑)。(プロ入り直後の)18、19年は勢いでいけました。でも、人って時間が経つと絶対にスランプがくると思うんです。スランプがない人なんてほとんどいない。周りでないのは、メンタルが出来上がっている“さく”(小祝さくら)くらい(笑)。一喜一憂せずに、本当に目の前のことしかやらないからケロッとしている。でも、若い選手がパッと勝ってダメになってしまうことも多いですよね。私もでした。今の私は、脳も心も考え方も、タフに強く、そしてやさしく、余裕ができた感じです。本当に人間力が付いたというか。だから復活というよりは、新しい自分が作られて生まれた、という感じなんです」
ここで変われなかったらゴルフ人生は終わる……
河本の昨シーズンは、開幕から2試合連続予選落ちで始まった。
「きちんと準備してきたという裏付けはあったので全然焦りはなかったんですけど、やっぱりそれまでのシーズンが悪すぎて、それを引きずっていたのか……でもそれが3試合目で払拭された、パッと開けた感じでした。マネジャーにキャディをお願いして、試合で全部を自分で決めてゴルフするようにしたら、自分のゴルフを思い出したんです。昨年はとにかく毎日全力でゴルフと向き合ってきたから、一瞬でした。あっという間に終わったという感じです」
そもそも昨シーズンは「勝負の年」として挑んだのだ。
「ここで変われなかったら、このままゴルフ人生は終わるなと。人って、“ここ”っていうときがあるじゃないですか。そこが訪れたなと思っていました」
23年のQTを4位で終え、周りはホッとしていたが、そのとき母が、「結がこんなにつらいのに何もしてあげられなくて申し訳なかった」と涙を流したという。
「この年になって、親に悲しい涙を流させることにすごく心が痛んで。なんとしても喜ばせたいと、そこでスイッチが入りました」
信頼できるトレーナー、栄養士、メンタルコーチの指導を仰ぎ、自分で納得する体作りをし、外食は避けて栄養バランスのよい弁当を取り寄せた。月曜日にはメントレのセッションを繰り返した。
「脳と体を毎回ゼロに戻すんです。良いも悪いもリセットする」
河本は、全試合に出場するスケジュールを立てた。
「試合への入りを遅くしたり、きちんと寝る時間を取ったりしていたので全然疲れはありませんでした」
トレーニングや栄養管理など、自身の体を徹底的にコントロールした成果だ。
5年ぶりの2勝目
「人としての成長を感じられて嬉しかった」

NEC軽井沢72での5年ぶりの勝利
応援団の声援のなか2勝目。出場33試合中予選落ちは初戦から2試合のみ。16試合でトップ10入りした
そして8月、NEC経緯沢72での5年ぶりの勝利。しかし河本は「5年待ったから嬉しかったとかはなかったんですよね」と語る。
「やっぱりメンタルトレーニングをして、自分の思い描いたことが体現できるんだということを実感できたほうが嬉しかった。しっかりイメージしたり、自分と向き合うことで、脳を上手く使うことができれば、自分の思うことをポンポンと成し遂げていけるんだという感じでした」
5年前の優勝は“無意識”だった。しかし、昨年は“意識的に”取り組んだことで優勝できた。それが「人としての成長」を感じて嬉しかったのだという。
(後編へ続く)
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後編では、ゴルフ界にとどまらず、自身の気配りや仕事への向き合い方、ロス五輪、年間女王など今後の目標についても聞いている。続きは週刊ゴルフダイジェスト3月25日号、Myゴルフダイジェストにて掲載中!
PHOTO/Shinji Osawa、Hiroaki Arihara、Hiroyuki Okazawa、Tadashi Anezaki
※週刊ゴルフダイジェスト3月25日号「河本結 誕生」より一部抜粋