斉藤ゴルフ方式で短期間に上達。ゴルフ名門校に……。
この夏、野球部とともにPL旋風の一翼をになったPL学園ゴルフ部の活躍はここ数年すさまじい。すでに「全国高等学校ゴルフ選手権大会」では、昭和55年の第1回大会と翌年の第2回大会に団体戦で連覇。高校ゴルフ界においてPL学園は野球部同様、今や名門校として知られている。
そのPL学園ゴルフ部の育ての親が知る人ぞ知る斉藤元謙氏(エリエール女子プロ育成監督)である。
「剣道、野球につぐスポーツとしてゴルフを強化したいので是非、斉藤さんの力を……」
PL学園から請われて斉藤氏がゴルフ部監督に就任したのは、昭和53年4月だった。斉藤氏といえば、昭和38年から静岡県伊東市の伊東商業で教鞭をとるかたわら、ゴルフ部監督を務め、伊東商業を高校ゴルフ界の名門校に育てた男だった。岩下吉久や土山録志などは伊東商業時代に斉藤氏からゴルフをたたき込まれたプロであり、一時は斉藤氏率いる伊東商業ゴルフ部は、ゴルフ関係者から「プロ養成所」といわれたほどだった。
いってみれば、剣道、野球でもって全国制覇を成し遂げつつあるPL学園が、「第3のスポーツ」にゴルフを選び、その監督に斉藤氏はうってつけだった。
「当時は生徒が単にボールを打って遊んでいるといったほうが早かった。だから、私が就任すると同時に徹底して基礎体力作りからはじめた。お前たちの体はゴルフをやる体じゃない、と毎日怒鳴ってはランニングや素振りばかりをやらせた。そのため15人いた部員が1週間で1人になったこともありましたね」
昨年4月でPL学園を辞めた斉藤氏は当時を回想し、豪快に笑った。
シゴキにシゴいた。ゴルフは体力だ。1ラウンドするには起伏の激しいゴルフ場を軽く10キロは歩く(注/当時はバックを担ぎプレーしていた)。初日にドライバーで230メートル飛ばす選手なら、最終日にもなんなく230メートル飛ばさなければダメだ。目をつぶっていても正しいスウィングができなければボールを打つなんてとんでもない――これが基本を大事にする斉藤氏の持論だった。
しかし、部員の父兄から文句が出たのもたしかだった。「ゴルフ場がPL教団の敷地内にあるのにラウンドさせないとはなんだ…」斉藤氏はそんな父兄たちを「3年間は口を出さないでくれ!」といって一喝。とはいっても関西でPL学園ゴルフ部が活躍するまでにはほとんど時間がかからなかった。
斉藤氏監督就任3カ月後の昭和53年7月に行われた関西高校選手権大会では、桃山学院、近大付属高、平安、それにPL学園の4校だけの出場だったが、なんと個人戦で1位から11位まで独占したのだった。
以来、PL学園ゴルフ部はこの斉藤ゴルフ方式で短期間のうちに高校ゴルフ界の名門校として君臨することになる。
【PL学園ゴルフ部の野望。ドキュメント2つの高校球児の夏1985≪後編≫】に続く。
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