
玉城元気ーGenki Tamashiro 1997年生まれ、沖縄県出身。
GD 今年は苦しいシーズンをおくっているんじゃないですか?
玉城 そうですね。今年は全く試合に出られないので。でもゴルフの調子はそんなに悪くないんです。
GD それは何か理由が?
玉城 収入です。
GD え? 収入? レッスンとか?
玉城 いえ、今、ゴルフとは別に清掃業をやっているんです。ずっとキャディをやりながら試合に出るお金を稼いでいたんですけど、それだと生活することができなくて。それで去年のQTでダメだったら本当にゴルフを辞めようと思っていたんです。そんな時に、たまたまチャレンジの予選会で永井哲平さんと同組になって。辞めようかと思っているという話をしたら、声をかけてもらいました。
GD じゃあ永井さんはその清掃業の会社をやっているってこと?
玉城 はい。清掃業とキャディの派遣業なんかもやっているんです。最近はゴルフ場のバンカーの縁を綺麗に刈る作業を請け負う仕事もしていて、それが結構きついんですよ(笑)
GD なるほど。収入がある程度安定したことで気持ち的に楽になったということですか?
玉城 そうなりますね。下部ツアーとか試合に出ている時は、予選落ちした時はあまり何も感じなかったんですけど、いざ予選通過して賞金をもらったら、3日間戦ってこれだけ? という思いがあって、そんな気持ちでゴルフをやっていたので、少し嫌になっていたのかもしれません。ゴルフをする意味がわからなくなっていた感じです。
GD 今はそんな気持ちは無くなりましたか?
玉城 もちろんゴルフで結果を残せているわけではないので、ゴルフ一本でというふうには思えていないですけど、それでもこの間のファーストQTは1位で通過できましたし、チャレンジの予選会も通ったり、少しずつ結果は出せているのかなと思います。
アメリカにも4年住んでいました
GD そもそもプロになろうと決めたのはいつ頃だったんですか?
玉城 11歳の頃に始めて、それからずっとゴルフをやっていく中で自然にプロになりたいと思っていたと思います。中学2年の夏頃にエナジックというゴルフアカデミーに入りました。今はエナジックは学校になってゴルフや野球に力を入れています。自分がいた頃ままだアカデミーで地元の高校に通いながらゴルフをやっていました。
GD 高校を卒業してプロ転向ですか?
玉城 19歳まで沖縄にいたんですが、入っていたアカデミーの会長がアメリカにもアカデミーを出したいということで、それから4年間アメリカに派遣されていたんです。
GD スタッフとして?
玉城 スタッフというか誰か人を置くという感じだったと思いますけど、エナジックがサンディエゴのゴルフ場を買収したので、そこで自分は練習しながらミニツアーなんかにも出ていたんです。それで少し稼げるようになってきた頃にコロナが始まってしまって。受けようとしていたカナダのQTなんかも中止になり、それで日本に帰ってきました。

「来年は頑張ります!」(玉城)
GD なるほど。日本に帰ってきてなかなか上手くいかなかい状況が続きましたが、少し気持ち的にも晴れてきた感じですか?
玉城 そうですね。ゴルフとは全く関係のない仕事をやってみたかったので、それができたのも気持ち的には良かったのかなと思っています。
GD ところで清掃業なんかはゴルフに影響しないんですか?
玉城 めちゃくちゃしますよ。腕パンパンです(笑)。でも働いたそのままがお金としてもらえるので、それが今は楽しく感じます。そのお金でゴルフの試合にも出られているので、他の人はわからないですけど、自分にとってはいいバランスなんだと思います。
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沖縄からアメリカ。そして日本に戻り、今度は沖縄から千葉に出てきてプロゴルファーとして活動をしていました。ただ、金銭的に苦しく、ゴルフ場でキャディをしながら遠征費を稼いでいたそう。どんなに遠い遠征先でも可能な限り車で移動して、車中泊なんかは当たり前。そんな生活を続けているとゴルフをやる意味を見失うもの無理はありません。ただ、永井プロとの出会いから清掃業に携わるようになり、ある意味で視野が開けたのかもしれません。ゴルフを諦めることなく、続けられる自分なりの手段と出会った。今はゴルフを楽しめている玉城選手の今後の活躍に期待です。
文/出島正登