犬が繋いだ運命とロマンス

メジャー11勝を誇るウォルター・へーゲン
近代ゴルフ史において、最もプロらしいプロだと誰もが認めるウォルター・へーゲンは1900年代初期を代表するプロゴルファーだ。
当時のプロゴルファーの社会的地位は低く、伝統あるコースのクラブハウスには入ることができなかった。多くの偏見を取り除き、プロゴルファーが立派な職業であり、誰にも劣ることのないものだと猛反発をした。そのため、常に流行のファッションに身を包み、ユーモアとウィットに富んだ会話を巧みにこなした。そして、あらゆる階級の人々と交流する術を身に付けていた。
へーゲンは、ニューヨーク州ロチェスターで1892年12月12日に鍛冶屋の息子として生まれた。少年時代は学校から帰宅すると近在のコースで毎日キャディとして働いたのは、新しい野球のグローブを買うためで、将来は大リーグの野球選手になるのが夢だった。キャディフィーは10セント、ロストボールを探せばチップとして5セント貰える時代だった。12歳になると教室から抜け出しコースでキャディをしたりプレーをしたりしていた。
やがて製粉工場で働くようになり、毎日のように小麦粉の入った袋を運んでいたが、同じロチェスター出身で成功者だったジョージ・イーストマン(コダック社の創始者)に出会うまでは文字通り粉まみれの生活を送っていたが、上品な振る舞いと人を引き付ける性格のため多くの人に好かれていた。
ある日、へーゲンは犬を連れて散歩している美しい女性に出会った。その日から毎日同じ時間に散歩をすることにし、女性の連れている犬を気に入り、ついにその犬を譲り受けることになった。だが、犬を譲ったその美しい女性は犬のことが気になり、たびたびへーゲンの家に訪ねていくことになったが、いつしか犬よりもへーゲンに心を奪われ結婚してしまった。犬が欲しかったのか、それとも美しい女性と親しくなれると考えたのかは不明だが、へーゲンらしいエピソードだといえる。

「へーゲンほどウッドショットの下手なチャンピオンはいない」と言われていた
1914年、22歳の時イリノイ州のミッドローザンCCで行われた全米オープンに出場し、チャールズ・エバンスJrを破ったが、前年の大会ではアマチュアのフランシス・ウィメットが勝ち、アメリカ人でもゴルフの試合に勝てると多くの人に認識させることになった。当時は、イギリスから渡ってきたプロゴルファーが大半だったことから、へーゲンの勝利はアメリカ生まれのプロゴルファーの勝利でもあった。その後も圧倒的といえる強さを発揮した。
1922年の全英オープンに優勝すると24、28、29年にも勝ち、14~27年の間メジャー競技を11回も制覇している。
ところがへーゲンほどウッドショットの下手なチャンピオンはいないといわれ、その原因はスウェイするスウィングにあった。そのため1打目は右、2打目は左というのが普通で、ロングアイアンも決して上手くはなかった。加えてバンカーショットも苦手でエクスプロージョンショットは出来なかった。
ではなぜ強かったのか。当時はマッチプレーで、相手を翻弄してメンタル的に圧倒してしまうほど口達者だったからだ。へーゲンは相手を怒らせ、そして自滅させてしまう術を心得ていたのだ。もちろん、それだけではメジャー競技には勝てない。人一倍強い闘争心と、プレッシャーに負けない強い意志があったからだ。「私はミスをする。だが相手もミスをする。しかし、私は見事にリカバリーすることができる。彼らにはそれが出来ない」とへーゲンらしい言葉を残している。
確かにウッドクラブのショットは上手くなかったが、グリーンに近づくほど卓越したショットを打ち、グリーン上では誰もが苦手とする3~5メートルのパットは必ず1発でねじ込んだ。
このようにパーの数(72)よりも多いエピソードを残したといわれているが、彼ほど偉大で愛され尊敬されたアメリカ生まれのプロゴルファーはいない。


