
大会会長の麻生氏を囲んで。障害者スポーツに理解ある企業の支えは大きい。宴席で、それぞれのスポーツ経験やゴルフの“飛ばし”などについて花が咲いた
昨日、前夜祭が開かれ、日本障害者ゴルフ協会代表理事・松田治子氏に続き、大会会長を務める麻生塾理事長・麻生健氏、飯塚市長・武井政一氏、嘉麻市長・赤間幸弘氏、桂川町長・井上利一氏の挨拶が行われ、それぞれ本大会への想いを語り、選手たちへエールを送った。
松田氏が、「この大会の開催30回は、協会の設立30周年と同じなんです。それを九州の名門コースで開催できて関係者の皆々様に心より感謝しています。『継続は力なり』と言いますが、日々の地味な努力を続けて今があります。しかし、今回のポスターにもあるように『その先へ――』が大事。30は人間であれば若造、協会はこれから花開くのです。慢心せず運営を続けていきたいですし、選手の皆さんにも革新的な心を持って参加してほしいですね」と言えば、麻生氏は「ようこそ筑豊へ――記念すべき30回大会をここでやっていただけることを感謝します」と返す。麻生グループは、地元飯塚で、今年41回大会を迎えた障害者の車椅子テニス大会を開催してきた実績があり、「継続」の重みを誰よりも知っているのである。
「異常気象で福岡のコースのほんどのグリーンの芝が焼けています。しかし、この記念すべき30回の大会が開催されるということで、コースの社長、キーパーにプレッシャーもかけましたが(笑)、“全集中”で素晴らしいグリーンになっています。手をかけたおかげでグリーン周りの芝が成長しすぎて難しくなっていることはご容赦ください。これからも、こういった大会を続けていけるお手伝いができたらいいと考えています。選手の皆さん、明日から頑張ってください」(麻生氏)
大会を前にした選手たちのそれぞれが胸にした想いを聞いてみよう。本大会3回の優勝を誇る小山田雅人氏(右上肢切断)は、「練習ラウンドをして、パーを取るゴルフに切り替えようと思いました。バンカーもラフも深いので、フェアウェイに置いていく、グリーン周りから寄せてワンパット。確実なマネジメントをしたい」。連ランをする時間がなかったという小林茂氏(左ひざ関節機能全廃)は本大会で4回優勝している。「とにかくたくさん拾いたいですね、アプローチもパターも。目標は70歳になったのでエージシュート。そしてやっぱり優勝です」。障害を得て6年、ゴルフを始めてまだ5年という高橋良太氏(右大腿切断)は、「とにかく頑張りたい。グリーンがかなり仕上がってます。最近仕事が忙しくてあまりラウンドできていないので、80台で回ることが目標、楽しくプレーすることができればいいと思っています」。小山田氏と幼少時からのライバル、武智秀昭氏(上肢不自由)は、「小山田に勝つことが目標です。コースは素晴らしいですよ。30代でラウンドしたことがありますが、そのときと変わらない。僕はグリーンが速いほうが好きですしね。明日は90を切ることが目標かな(笑)」。

旧知の再開も初めて出会った人たちとも楽しい時間が過ごせる。同じ時間と空間を共有することこそが、障害者スポーツの楽しみの1つである
物事を長く続けることは簡単なことではない。多くの人の想いがつながってきた本大会。節目を迎えた今年、さらに多くの想いを取り込んで、新たなスートラインに立つ。
PHOTO/Yasuo Masuda
