ボールの歴史はゴルフの歴史でもある

画像左側のベージュのような色をしたボールが「フェザーボール」
初期のゴルフで使われていたのはフェザーボール。これは皮を丸くしてその中に鳥の羽を入れたものだった。そう書くとかなり軽いと思うかもしれないが、小さな皮の中にシルクハット1杯分のガチョウの羽を煮詰めて押し込んだもので乾燥すると石のように固くなった。だが熟練した職人が1日4~5個しか作ることができず高価だったが、雨などでフェアウェイが濡れると皮が水を吸い込んでしまい耐久性に問題があった。
次に登場したのは天然ゴム製のガタパッチャーボールだった。世界の海を支配した英国は多くの植民地を所有し、世界各地から多くの物資を輸入していた。しかし、このボールは偶然の産物として生まれたものだった。マレー半島(現マレーシア)にいた宣教師ジェームス・パターソンがセントアンドリュースに暮らす父親に荷物を送る時に緩衝材としてグッタペルカの樹脂を固めたものを使い、パターソンの弟がこの樹脂を型枠に入れてボールを試作。フェザーボールよりもはるかに弾力があり、飛距離も出て高弾道だった。当然だが、雨に弱いフェザーボールよりも耐久性は高くしかも安価だった。このボールの出現により、クラブも改良され、ゴルフも盛んになっていった。

天然樹脂を方に流し込んで成型した「ガタパーチャ」ボール
そのうち、ボールに傷がついた方がより飛ぶことが分かり、これがディンプルへと発展していった。といっても試行錯誤の繰り返しで、ディンプル(窪み状)ではなく突起状のものや丸でなく四角のディンプルもあった。
この時代のエピソードを紹介しておきたい。セントアンドリュース所属で、最初のプロゴルファーだったアラン・ロバートソンは、クラブの製作とフェザーボールの製作を担って高額な収入を得ていた。だが、ガタパッチャーボールの出現により高額なフェザーボールの存在が危ぶまれてきた。その頃、弟子だったトム・モーリス・シニアが安価なガタパッチャーボールを使ってプレーをしたことが分かると激怒して解雇してしまった。やむなくトム・モーリス・シニアは新設コースだったプレストウィックGCに移籍することになった。ちなみに歴史を誇る全英オープンは、トム・モーリス・シニアが所属していたプレストウィックGCから始められている。
ガタパッチャーボールの次に登場したのは、糸ゴムを巻き付けコアにし、ガタパッチャーの外皮を持つハスケルボールだ。このボールは従来よりも20ヤードも飛距離が伸びたといわれている。1904年になると糸巻きボールにバラタカバーのボールが現れ、17年にはコアにリキッドを入れたボールも開発された。この時代になってもボールに関しての規制はなかった。規制が出来たのは20年で、R&A(英国ゴルフ協会)によりボールの直径1.62インチ(4.115センチ)以上、重量1.62オンス(45.93グラム)以下となった。
90年になるとボールの直径は1.68インチ(42.67センチ)に統一されそれまではそれぞれの大きさのボールを使用していたが英国もアメリカと同じサイズのボールを使うことになり、R&A規格のスモールボールを使用していた日本もUSGA規格のラージボールに移行することになった。
ツーピースボールは67年にアメリカのスポルディング社により開発され、ボールの外皮はデュポン社がより高品質なアイオノマ樹脂を開発し、ボールは93~2003年の10年間で30ヤード飛距離が伸びたとされる。
ちなみに日本最初のゴルフボールはブリヂストンが1935年に発売したブリヂジストンスーパーで1球1円、現在に換算すると1600円相当になる。当時の大卒の給料が90円という時代だった。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中


