PGAツアーのシーズン最終戦RSMクラシックは優勝争いよりシード争いに注目が集まったが勝ったのはサーミ・バリメキ。フィンランド人初のチャンピオンとなった彼は久常涼と同じくDPワールドツアーから昨年PGAツアーに昇格した27歳。トップ125にシードが与えられていた昨年はボーダーラインギリギリの123位で命拾いし、今年2年目のシーズンを迎えていた。そして最後の最後に勝利の女神が微笑んだ。バリメキってどんな人?
画像: フィンランド人初のPGAツアー優勝者となったサーミ・バリメキ(写真/Getty Images)

フィンランド人初のPGAツアー優勝者となったサーミ・バリメキ(写真/Getty Images)

192センチ、105キロの大男は最終18番9メートル近いファーストパットを至近距離に寄せると大きく息を吐いて勝利を確信した。

ウィニングパットとなったタッチインパーを沈めると拳を握りパターヘッドにキス。直後のインタビューでは「フィンランド人初という言葉を聞いて感情が込み上げてきた。故郷にゴルフを広めたい」と声を詰まらせた。

首都ヘルシンキからはるばる応援に駆けつけた3人の友人と抱き合い喜びを分かち合う。

「正直、北欧から逃げ出すのにちょうど良い時期だよ」と友人のひとり。間もなく白夜になり雪と氷に閉ざされる季節が訪れる。そんなときに「太陽を浴びてこんな景色が見られるなんて本当にラッキーだった」と友・バリメキの快挙に興奮が止まらない。

そう、彼は1年の半分を雪と氷に閉ざされる国からやって来た。北欧の男子なら一度は憧れるのがNHLプレーヤー(アイスホッケー)。実際従兄弟のユウソがプレーする舞台を夢見てスティックとパックを操った時期もある。

しかしフィンランドのゴルフ界がバリメキを放っておかなかった。代表選手に抜擢されると有望アマチュアとして国際競技に出場。19年にプロ転向するとQスクール(最終予選)から出場権を得たDPワールドツアー参戦5試合目のオマーンオープン(20年)で優勝を飾った。

7年前には6カ月の兵役義務を果たしたことがゴルフに重要な忍耐力を培う源となった。

「森の真ん中で氷点下の気温のなかテントで2週間過ごす訓練もしました。摂氏マイナス20度から25度だったかな。あれは本当に大変でした」と五輪出場の際に語ったバリメキ。

だが指定スポーツ選手だったため彼にはゴルフの練習やときには試合に出ることも許された。ノルディックゴルフリーグにも出場し正式に除隊する前にプロ転向を表明した。

「目標はとにかくDPワールドツアーに出場しそこで勝つことでした。(オマーンOPに)勝ったあとはミッションをクリアできたような気がしたけれど、23年にポイントランク上位に入ればPGAツアーに行けることがわかった。それが自分を突き動かす原動力になったのです」

23年にコマーシャル・バンク・カタール・マスターズでDPワールド2勝目を挙げポイントランクトップ10に入り米ツアーに昇格した。

昨年のこの時期に長男マックス君が誕生。そのためRSMクラシックを含むフェデックスカップフォールの後半は出場していなかった。

「本当は出たかったのですが生まれたばかりの赤ちゃんがいて大きな変化があり出場を断念し(シードの可否を)ただ待つしかありませんでした」

だが今年は違う。最終戦に勝ってポイントランクを51位まで上げ来季序盤のシグネチャーイベント2試合(AT&Tペブルビーチプロアマ&ジェネシス招待)の出場権を獲得した。

世界ランクも40位に浮上し年末まで50 位以内をキープすれば夢のマスターズ出場も叶う。着々とステップアップしているのだ。

トロフィーを掲げたあとは仲間とシモンズ島にある有名なシーフードレストランで祝杯を挙げた。人生最良の瞬間だった。

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