本名フランク・アーバン・ゼラー。愛称の“ファジー“は直訳すると曖昧という意味だが、その名の通りそつなく、塩梅良く、すべてを収める才覚の持ち主だった。
またギャラリーと会話しながらプレーする親しみやすい社交的な人物でもあった。

プレーオフ後にトム・ワトソンと抱擁を交わすファジー・ゼラー(左から2人目)
1979年のアンディ・ウィリアムス・サンディエゴ・オープン招待で優勝し、同年のマスターズ出場権を獲得した彼はトム・ワトソン、エド・スニードと三つ巴のプレーオフを制し1935年(第2回大会)のジーン・サラゼン以来史上3人目の初出場での優勝者となった。
ウィニングパットを決めた瞬間、パターを空中に放り投げたシーンはマスターズ史上に残る名場面。
最終日前夜にはメジャーでの優勝争いの緊張で寝つけずホテルの部屋でタバコをふかしたのだが、その煙が火災報知器に反応してスプランクラーが作動。びしょ濡れになるというアクシデントも。
1984年ウィングドフットで開催された全米オープンでのグレッグ・ノーマンとの名勝負も有名だ。最終ホールのフェアウェイからノーマンが15メートルのバーディパット(実際にはパーパット)を決めたと勘違いしたゼラーは白いタオルを投げ降参のポーズ。
競技委員からノーマンがパーセービングパットを決めたのだと聞かされはじめて自身がトップに並んでいたことを知り翌日18ホールのプレーオフを戦った。
プレーオフは序盤からゼラーのペース。フロント9で5打差をつけ最後は8ストロークの大差をつけメジャー2勝目を達成。ノーマンもゼラーに倣い18番で白いタオルを振った。
メジャー2勝、ツアー10勝の人気者だったが97年タイガー・ウッズがマスターズで優勝したあと「チャンピオンズディナーにはフライドチキンを出さないでくれ」と有色人種差別と取れる失言をして非難を浴びた。
その後、何度も迂闊な発言を謝罪したが批判は収まらず、いまでいう大炎上。事件から10年以上たった08年には「私だけでなく妻や子供たちの殺害予告を受けました。何百通もの脅迫状に届きました。いまもそれは続いていて、未だに風化していません」と語っていた。
「この事件は決して消えることはないという事実を受け入れています」
それまで培ってきたイメージが崩れたのは悲しいが実際何度か会って話した印象は“飄々として楽しい人“だった。プレーが早く小気味良い。ラウンド中に口笛を吹いていた姿も覚えている。
マスターズの騒動で地獄を味わったが、28歳のときにはオーガスタで天国を味わった。
「天国に行ったことはないし行く機会もないけれど、マスターズでの優勝が自分にとっては天国に一番近い経験だった」
グリーンジャケットを着用してパトロンに挨拶するファジー・ゼラー
実際の天国はどうですか? そちらのオーガスタで早速プレーしましたか? ゴルフに彩を添えたあなたに心からご冥福をお祈りします。

