日本のゴルフ界を牽引し続けた「ジャンボ」が、天国へと旅立った。 12月24日、尾崎将司の長男・智春氏より、プロゴルファーの尾崎将司が12月23日午後3時21分、S状結腸がんのため永眠したことが発表された。享年78。6歳でクラブを握った時から、その視線の先には常に「ジャンボ尾崎」がいた。愛用していた3タックパンツも、その背中への憧憬の証。誰よりもジャンボを畏怖し、追いかけ続けてきた池田勇太が、溢れる思いを言葉にした。自身の復活を誓った矢先の訃報。あまりに早すぎる別れに、無念さが滲む。
画像: 池田勇太がはじめて一緒にラウンドさせてもらったと話す2003年ブリヂストンオープン最終日。緊張した面持ちの高校3年生の池田勇太(右)と、全盛期のオーラを放つジャンボ尾崎(撮影/姉崎正)

池田勇太がはじめて一緒にラウンドさせてもらったと話す2003年ブリヂストンオープン最終日。緊張した面持ちの高校3年生の池田勇太(右)と、全盛期のオーラを放つジャンボ尾崎(撮影/姉崎正)

池田勇太コメント

突然の訃報に接し、深い悲しみにくれております。

ジャンボさんと初めて一緒にラウンドさせていただいたのは2003年ブリヂストンオープンの最終日でした。

ジャンボさんに憧れてゴルフを始めました。当時まだ高校3年生で、まさか一緒に回れるとは思わず、緊張もさることながら、詰めかけたお客さんの多さにも度肝を抜かれたことを、昨日のように覚えています。

私が2016年に賞金王に就いたパーティにサプライズで駆け付けてくださった。いつものジャンボさん節でゲストを笑わせながら、『1回では認めない。2度、3度で本物』との激励を私は泣きながら聞きました。

昨年末にご病気の宣告を受けられたとき、近しい方から病状を聞いていましたが、ジャンボさんの口からは絶対に語られなかった。

誰とも会わずに闘病生活に入られたので、昨年の喜寿のお誕生日にお宅に伺ったのが、最後となってしまいました。

当時は私もケガをして治療中でしたので、親身になって症状を聞いてくださり、とにかくまずは治すことが一番と。治ればまた変わるから、と温かく励ましてくださった。

私事ながら今年は3年ぶりにシード復活し、22日には40歳となり、ここからリスタート、と誓った翌日の訃報に力が抜けてしまいました。もう1回復活をお見せしたい、と思っていたのに。もっともっと生きて欲しかった。あまりに早く旅立ってしまいましたが、これからもずっと、私たちを見守っていてくださると、私は信じています。

心からの感謝と敬愛と共に、謹んでご冥福をお祈りいたします。

プロゴルファー・池田勇太

※2025年12月24日20時21分、一部加筆修正しました。

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