2007年、15歳でツアー優勝を飾った石川遼を「いつかは賞金王になる逸材」と予言し、そのひたむきな姿勢を誰よりも愛したのがジャンボだった。プロ転向直後からジャンボ邸に通い詰め、野球のピッチング練習で身体の使い方を叩き込まれた日々。スランプに陥った時にかけられた「もっと深く悩め」という言葉の真意とは。師弟の絆を感じさせる、万感の思いが込められた追悼文が届いた。
画像: 2007年の年末にチャリティゴルフとして、一緒にラウンドした尾崎将司、松坂大輔、石川遼

2007年の年末にチャリティゴルフとして、一緒にラウンドした尾崎将司、松坂大輔、石川遼

石川遼コメント

尾崎将司さんのご逝去を悼み、⼼よりご冥福をお祈り申し上げます。

ジャンボさんには数えきれないほど多くのことを教えていただきました。

冬の間、何度もジャンボさんの練習場にお邪魔しトレーニングをさせていただいた⽇々は、今も鮮明に⼼に残っています。

ゴルフの練習に⼊る前、まず⾝体の使い⽅を覚えるために、野球のピッチングの練習を⼀週間みっちりと教えてくださいました。

「いつゴルフボールを打てるのだろうか」と思いながらも、その全てがゴルフに繋がっていることを後になって深く理解しました。

アイアンの練習では、同じトップの位置からダウンスイングだけでドローとフェードを打ち分ける練習を教えていただき、

私がトップに上げた瞬間にジャンボさんが「フェード」「ドロー」と指⽰を出し、

その場で打ち分けるという緊張感のあるトレーニングの⽇々を15年以上が経った今でも昨⽇のことのように覚えています。

また、私がなかなか良い成績を出せずに悩んでいる時には「いいぞいいぞ、もっと悩め。もっと深く悩め」と声をかけていただきました。

それはきっとジャンボさん⾃⾝が苦労された時に重ねて、⾃分で考えて⾃分で殻を破ることが本質的に⼈間を強くするんだというメッセージだと受け取っています。

ジャンボさんから教わったこと、背中で⽰してくださったことは、今も私のゴルフの根幹として⽣き続けています。

⼼からの感謝と敬意を込めて、安らかなご永眠をお祈り致します。

石川遼

【尾崎将司 プロフィール】1947年徳島県生まれ。プロ野球・西鉄ライオンズ(現西武)を経て、1970年にプロゴルファーへ転向。豪快なドライバーショットを武器に「AON時代」を築き、日本ゴルフツアー通算94勝、国内通算113勝は歴代1位。世界ランキング最高位は5位。2010年世界ゴルフ殿堂入り。

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