カメラマン岡沢裕行氏が振り返るジャンボ尾崎の記憶。「変なスウィングは残せない」と撮影を拒否されたプロ意識の高さから、70歳の誕生日に孫と戯れる姿まで。中でも衝撃だったのは、試合翌日の月曜日に自宅工房で「鉄の塊」からパターを削り出していた姿だ。妥協なき“職人”の一面と、底知れぬゴルフ愛を綴る。

歴史に残す「連続写真」

私がゴルフの写真を撮り始めた1980年代の終わりは、まだインターネットが普及していなかったので、プロゴルファーの連続写真は一般のアマチュアゴルファーがスウィング研鑽をするための大事なコンテンツでした。言うまでもなく、ジャンボ尾崎さんの連続写真は誰もが見たいわけですが、これがなかなか撮らせてもらえないのです。

先輩カメラマンに理由を訊くと、「自分で行ってみればわかるよ」と言われました。それで全日空オープンの練習ラウンドの時に、輪厚(わっつ)コースの打ち下ろしで右ドッグレッグの4番ホールでプロのドライバーショットの連続写真を撮っていると、ジャンボさんが来ました。そこでお願いすると「ダメだ」と一蹴されました。もう一度「お願いします!」と食い下がると、「ダメだ。こんなアゲンストの打ち下ろしで良いスウィングができるわけねえだろう」と言われたんです。 その後に何ホールかついて行って、ストレートなホールに来た時に「ココでお願いします!」と言ったらジャンボさんは何も言わない。それでもう一度「お願いします」と言うと、無言でアドレスに入った時に、キャディの佐野木(計至)さんに「ソ~ッとな」って言われ、それでようやくジャンボさんの連続写真を初めて撮れたんです。

歩き始めたジャンボさんに、「ありがとうございます!」と言ったら、背中越しに「おお」という声が聞こえました。その時に、ジャンボさんが容易に連続写真を撮らせない理由が分かったんです。要するに、納得のいかない変なスウィングは残せないという、ジャンボさん特有のゴルフに対する美学があったのだと思います。だからミスショットや気に入らない時には、必ず「今のはダメだぞ」と、使わないように釘を刺されました。

これは1990年前後の全盛期の話ですが、ジャンボさんが亡くなった今、その時々の連続写真は雑誌に掲載されたら終わりの一過性のものではなく、日本のゴルフ史に残るものであると改めて感じています。だからこそ本人も「変なスウィングは残せない」という気持ちだったのでしょう。

連続写真を撮る時は「音」に気を遣うのですが、ジャンボさんの時は特にでした。ある年にジャンボさんについてロサンゼルスオープンに行った時に、わざわざハリウッドの工房に行ってシャッター音が出ない黒い消音ボックスを作ったんです。それを連続写真の撮影時に使うようにしたら、ジャンボさんに「音がしないからと言って、いくらでも撮っていいってもんじゃねえぞ」と言われ、「ジャンボさんのためにわざわざ作ったのに……」と思ったりしました。 このボックスの他にも、音があまり出ないフィルムで撮ったり、コマ数がたくさん撮れるカメラを持っていったり、当時のカメラマンは皆、ジャンボさんの連続写真のために道具や撮り方を工夫して苦闘していました。変な話、後に開発された音の出ないサイレントカメラ(ミラーレス機など)は、ジャンボ尾崎さんのスウィングを撮りたいカメラマンのニーズが反映された部分があるのかなと思ったりします(笑)。

連続写真の撮影の時にファインダー越しに覗いた姿――アドレスに入って、ワッグルや下半身を動かして、最後にターゲットを見て、凄い音で球を打ち、どうだという感じで球を追う姿は、今でも脳裏に焼きついています。あの頃、この人は練習ラウンドの1打も、試合と同じように真剣に打っているということを感じさせてくれた。そこがジャンボ尾崎の強さの所以だったのかなと思います。

ジャンボ節が出た「全日空オープン」のブッチ切りV

画像: 94年全日空オープンで優勝インタビューに応えるジャンボ

94年全日空オープンで優勝インタビューに応えるジャンボ

1994年の全日空オープンは、大会2日目が雨で中止になって、最終日は36ホールの長丁場でしたが、ジャンボさんが通算20アンダー、2位に9打差をつけるブッチ切りで優勝しました。優勝後のインタビューで、「やっぱりこの輪厚で優勝するのはジャンボ尾崎が相応しい」みたいなことを、いつもの“ジャンボ尾崎節”で言ったのを覚えています。その言葉通り、ジャンボさんはこの全日空オープンで通算7度の優勝をしていて、2002年のレギュラーツアー最後の優勝もこの輪厚でした。

孫とはしゃぐ「70歳の誕生パーティ」

画像: 70歳の誕生日パーティ

70歳の誕生日パーティ

そんな「強いジャンボ」とは対照的に、70歳の誕生日パーティに呼んでいただいた時の姿も忘れられません。長男の智春君の息子さんがアメリカの大学にフットボールで留学するので、しばらく会えない孫と一緒にはしゃいでいたのが印象的でした。確か、愛弟子の原英莉花プロもいたと思います。

衝撃的だった「ジャンボ尾崎の月曜日」

画像: 2001年9月号掲載の「ジャンボ尾崎は家で何をしているのか」企画

2001年9月号掲載の「ジャンボ尾崎は家で何をしているのか」企画

2001年に「ジャンボ尾崎は家で何をしているのか」という企画で、編集者と2人で月曜日に自宅に行って一日張り付き取材をさせてもらったのですが、これは衝撃的でした。

朝9時に行くと、ジャンボさんはジャージ姿でサンダル履いて家から出てきたので、挨拶がてら手土産を渡しつつ「つまらないものですけど」と言うと、「つまらないなら持って返れ」と冗談を言われました。その後、すぐに工房に入って行ったので、何をするのかなと思っていたら、なんと、鉄の塊を削り出してパターヘッドを作り始めたのです。撮影は「邪魔しなければいいぞ」と言われ、予め音のしない小さなカメラを持って行ったのは正解だったと思いました。

写真を撮りながら見ていると、削り出したヘッドのネックの部分を曲げていくのですが、これが愛用していたL字型の「Tommy Armour IMG5」を模した形であると分かりました。二人で質問をすると、作業を続けながらボソッと返してくれるのですが、時々、「今、大事なところだから黙ってろ」と一喝され、「スミマセン」と凹む。すると少しして「なんだ?」って聞いてくれる。そんな感じで作業は進みました。

最後に出来上がったヘッドに黒のスプレーを塗って、シャフトとグリップを入れて完成です。取材が終わったのは夕方の5時でしたけど、その間、集中して作業をする姿を見て凄いなと思うと共に、やっぱりゴルフが本当に好きなんだなと思いました。だって、普通のプロだったらトーナメントの翌日の月曜日は休んだりするのに、パター作りをしているんですから。 翌日の火曜日に大洗(ゴルフ倶楽部)でのダイヤモンドカップ(当時は三菱の主催)の練習ラウンドに行くと、ジャンボさんは前日に作っていたパターを持って来ていて、他のプロたちに嬉しそうに見せていた姿を思い出します。

カメラマン姉崎正が見たジャンボ尾崎

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