1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材し、現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員として活動する吉川丈雄が、ラウンド中に話題になる「ゴルフの知識」を綴るコラム。第51回目は、パーシモンドライバーの名器を数多く生み出した伝説的なクラブデザイナーであり、自身も一流のプロゴルファーであったトニー・ペナの生涯と功績について。

マグレガー社の躍進を支えた「ツアープロ兼デザイナー」という先駆的な挑戦

画像: 在りし日のトニー・ペナ

在りし日のトニー・ペナ

1980年代、クラシッククラブのブームが起こり、マグレガーなどのクラブが名器としてもてはやされました。帝王ジャック・ニクラスが愛用したジョージ・ローのパターや、ピンのスコッツデール・パターがびっくりするような価格で取引されていた時代です。

クラシッククラブで人気のあったクラブ、特にパーシモンのドライバーの多くをデザインしたのが、ツアープロのトニー・ペナでした。

トニー・ペナ(1908~1995)は、イタリアのナポリで大工の息子として生まれました。5歳の時に家族でアメリカへ移民し、ニューヨークの少し北に位置するウェストチェスター郡ハリソンに居を構えます。

近くのアパワミCでキャディを始めたのは11歳の時で、当時の身長はわずか5フィート(約152cm)。18ホールを回って35セントがもらえた時代でした。

画像: マグレガー社のパーシモン

マグレガー社のパーシモン

クラブの修理に興味を抱いたトニー少年は、キャディマスターでプロだったジョージ・ヒューズに気に入られ、ヒューズがグリーンメドウCCに移ると仕事を任されるようになります。その後、名門ウェストチェスターCCのキャディとなりますが、そこにはトミー・アーマーがマネジャーとして所属していたことから、アーマーのバッグを担ぐようになりました。

ウェストチェスターCCには、1906年・10年に全米オープンを制覇したアレックス・スミスもいました。ペナはアーマーとスミスの二人から、ゴルフスウィングの力学、そしてクラブ製作・修理の実務を学ぶことができたのです。

アーマーがコングレッショナルCCのヘッドプロになると、ペナは1925年にフロリダへ移り、オセオラGCのヘッドプロに就任します。

シカゴのイタスカCCでヘッドプロをしていた時、マグレガー・ゴルフクラブ社のクラレンス・リッキーがペナを訪ねてきました。提示されたのは「月額500ドルでクラブの開発をしつつ、ツアーに参戦しながらクラブを販売する」という提案です。

ツアープロがどのようなクラブを望んでいるかを聞き出し、新製品開発に生かそうというマグレガー社の戦略でした。ペナが正式に社員となったのは34年。ベン・ホーガン、ジミー・ディマレ、バイロン・ネルソン、そしてトミー・アーマーなど、当時を代表するトッププロとの契約を次々と成立させました。

トニー・ペナが設計したと言われる「M85 アイオマティック」

クラブデザイナーとして腕を振るう傍ら、ペナ自身も1937年から47年の間にPGAツアーで4勝(カンザスシティ、リッチモンド、アトランタ、ノースアンドサウスの各オープン)を挙げています。また、38年全米オープンで3位タイ、47年マスターズで8位タイなど、メジャーでも輝かしい成績を残しました。

マグレガー社の副社長にまで上り詰めたペナは、67年に自らのクラブ製作会社を設立します。

多くの名器を世に出した結果、トム・ワトソン、セベ・バレステロス、ゲーリー・プレーヤーらがペナのクラブを使い優勝を果たしました。後年のクラシッククラブブームによりペナの評価はさらに高まり、最盛期にはツアープロの実に20%がペナのクラブを愛用していたのです。

文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中

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