1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材し、現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員として活動する吉川丈雄が、ラウンド中に話題になる「ゴルフの知識」を綴るコラム。第51回目は、川奈ホテルGC富士コースの歴史的価値と、コース内に実在する幕末の遺構について。

名匠アリソンと若き井上誠一。川奈で交錯した二人の設計家の原点

画像: 左:チャールズ・H・アリソン 右:井上誠一

左:チャールズ・H・アリソン
右:井上誠一

日本を代表するリゾートコースといえば、やはり静岡県伊東市にある川奈ホテルだろう。1928年大谷光明の設計で大島コースが、36年にチャールズ・H・アリソン設計の富士コースが完成。同年にホテルも開業している。

アリソンは大倉喜七郎男爵の依頼で川奈ホテルのコースを検分、その当時、大谷光明、赤星六郎による富士コースの造成は、すでに6ホール分が完了していた。長期滞在していたアリソンは川奈の地形を見ていたく感動したという。

当時はまだホテルはなく、大島コースにロッジがありそこに滞在して構想を練ったと思われる。その時期、静養のために逗留していた若き井上誠一がいた。アリソンの仕事ぶりを観察するにつれて「面白そうだ、自分もやってみたい」と思ったことが、後にコース設計家になるきっかけだった。

アリソンが滞在していた時には大島コースは既にあり、富士コースも6ホールありプレーができた。アリソンは検分しながらプレーしたと思われる。その証拠は、井上誠一が「アリソンの球拾いをした。キャディもした」と家人に語っているからだ。アリソンが来日中、実際にプレーしたのは川奈のコースだけだったといえる。

アリソンは31年3月中旬に神戸から一旦イギリスに戻り、拠点だったアメリカの事務所で設計図を完成させて日本に送ってきた。

画像: 写真右側が11番グリーン。黄色枠内に砲台があるとされている

写真右側が11番グリーン。黄色枠内に砲台があるとされている

富士コースが完成したのは36年。当時、海岸線には大きな樹木はなく11番ティーイングエリア(現在の10番グリーン奥)からパノラマでコースを一望できたと思われる。11番グリーンを終えると、通称“大倉ホール”と呼ばれるパー3のホールが12番までの間に造られている。

このホールのグリーン左側の斜面に、江戸に向かって航海してくる黒船を迎え撃つため、伊豆韮山の代官・江川太郎左衛門により砲台が築かれた。今は灌木に埋もれているが、入り込むと整えられた石塁があり、かつてここが砲台だったことが窺える。

エキストラホールだから18ホールのコースならばこの大倉ホールは19番ホールとでも呼ぶべきなのだろうが、川奈は36ホールあることから37番ホールとすべきなのか……。

江戸時代の砲台が残されているのに、灌木で覆われて視認できないのはかなり残念なことだと思う。史跡として整備し、幕末の観光資源としてゴルファーに認知させるのは大切なことだと思うが。

文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中

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