ニューヨーク支店長時代、オーガスタ共同経営者との出会い
77年、オーガスタにてキャディを撮影したもの
かつてオーガスタナショナルGCの会員だった日本人がいた。戦前の話だ。ただしこの人物がゴルフをどの程度嗜んでいたかは不明だが。
石田礼助(1886~1978)は、静岡県賀茂郡松崎町の生まれ。麻布中学を経て東京高等商業学校(後の一橋大学)を卒業後、三井物産に入社する。
30歳でアメリカのシアトル支店長、その後ボンベイ(現インドのムンバイ)、カルカッタ(インド)、大連(満州)、1930年代初頭にニューヨークの支店長となった。大連時代は当時リスクの大きかった大豆の取引に成功して巨利を得ることができ、ニューヨーク支店長時代には錫の取引で再び大成功を収めている。
36年に帰国して常務取締役に就任、3年後の39年には取締役社長となっている。社長になったものの「実に面白くないんだ、会議ばかりで社長なんて実にくだらない」と語る。
だが41年に日米開戦が囁かれた時代、石田は知見のあった高松宮に「戦争回避」を訴え、後にこれが問題となり三井物産を退社することになってしまった。
潔く引退した石田は戦後まで要職につかなかったが、63年になると請われて国鉄総裁に就任。石田は実に78歳という高齢だった。記者が年齢を危惧すると「気分はヤングソルジャー」と言ってのけた。
このような経歴の石田だが、いつ、オーガスタナショナルGCの会員になったのかは定かではない。三井物産で働いた34年間の内、27年間も海外勤務だったが、必ずしもゴルフに興じていたとは言えない。
ボビー・ジョーンズ(左)とクリフォード・ロバーツ(右)
推測するに、ニューヨーク時代に銀行マンでオーガスタナショナルGCの共同経営者だったクリフォード・ロバーツと知り合ったのではと思う。オーガスタナショナルGCが開場したのは1932年だからニューヨーク支店長の時期だと考えられる。
会員の資格を得たものの、コースには1度も行くことなく日本に帰国したとされる。取引などで知り合った三井物産ニューヨーク支店長・石田に対しての名誉的な意味合いが強かったのではないだろうか。
もし、石田がゴルフを嗜んでいたら1度や2度はコースに赴きプレーをしたと思うが、かつて見つけた資料には「プレーをした」との記述はなかった。
当時、海外駐在者は帰国すると霞ヶ関CCや東京GCなどほぼどこかの倶楽部に入会したものだがその情報すら探すことができなかった。だが、石田礼助がオーガスタナショナルGCの会員だったことはまぎれもなく事実のようだ。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中






