先月最終回を迎えた「週刊ゴルフダイジェスト」の連載「神津善行のゴルフ桟敷 〜そっとのぞいてみてごらん」。ゴルフ歴70年以上の神津氏は、樋口久子プロが砧ゴルフ場で練習していた高校生の頃からのご縁。そこで「週刊ゴルフダイジェスト」3月24日号では「ゴルフ桟敷特別編」として、砧ゴルフ場があった頃、まだ女子プロ協会のない時代の話を2人に語ってもらった。「みんなのゴルフダイジェスト」ではその一部を公開しよう。
画像: 【右】神津善行(こうづ・よしゆき)「砧でクラブを運んでくれたのを自慢してました」 【左】樋口久子(ひぐち・ひさこ)「最初は試合をやっても話題にもなりませんでした」

【右】神津善行(こうづ・よしゆき)「砧でクラブを運んでくれたのを自慢してました」
【左】樋口久子(ひぐち・ひさこ)「最初は試合をやっても話題にもなりませんでした」

●神津善行のプロフィール
昭和7年生まれ。作曲家。国立音楽大学在学時よりゴルフを始める。戦後ジャズに魅せられバンドボーイも経験した後、『ニッポン無責任時代』『社長シリーズ』など300本以上の映画音楽を手掛ける。

●樋口久子のプロフィール
昭和20年生まれ。埼玉県出身。JLPGA顧問。1967年女子プロゴルファー1期生。第1回日本女子オープン、第1回日本女子プロ選手権優勝に始まり、国内69勝、賞金女王11回。77年全米女子プロ優勝。

60年ぶりの再会。今はなき「砧ゴルフ場」の面影を語る

神津: どうも。初めまして(笑)。

樋口: 初めまして(笑)。

神津: 会うのは60年ぶりくらい?

樋口: たぶん。砧でお会いしてるんですよね(2人で砧ゴルフ場の写真を見ながら)。

神津: 懐かしいですね。

樋口: これが6番で、これが1番。

神津: ああ、はいはいはい。

樋口: 今はもう砧の緑地(都立砧公園)になっちゃってるじゃないですか。行ったことあります?

神津: あります、あります。しょっちゅう行きます。

樋口: 面影がありますよね。ここにグリーンがあったなぁ、とか。

神津: そうそう。覚えてるところありますよ。コースを残しとけば面白かったと思うんだけどね。

樋口: そうですね。懐かしいですよ。砧を知ってる方って今あんまりいないですからね。

神津: 死んだんですよ、みんな(笑)。僕も女房(中村メイコさん)が死んだのが2年前で、追っかけるように体が動かなくなってきてます。もう94歳ですからね。

樋口: 寂しいですね。でも神津さん、お元気そうです。

神津: ゴルフみたいに楽しむものがないとね。

樋口: そうですね。

神津: 砧で樋口さんがクラブを運んでくださったこともあります。

樋口: 高校生の頃ですかね。私、中学校まで陸上競技やってたんです。80mハードルと走り高跳び。世田谷の二階堂高校に進学して(実家のある埼玉県)川越から遠いから、砧ゴルフ場に勤めてた姉の元から通学するようになったんです。

神津: そうでしたか。

樋口: 日曜日になると姉にくっついてゴルフ場に遊びに行って。「ドライバー貸してあげるから、練習場でボールでも打ってなさい」って暇つぶしでゴルフを始めたんです。最初は遊びです。でもやってくうちにすごく奥が深いスポーツだなって感じて。毎回同じところでやってるのに、毎回違うショットが出る。どうして同じようにできないんだろうと、陸上より面白くなっちゃったんです。

神津: なるほどね。僕はですね、映画音楽を日本で一番たくさん書いてるんです。339本。それで、東宝の撮影所から毎日のように歩いて砧に行ったんです。

樋口: 撮影所の役者さんはみんなゴルフ好きでしたよね。私が覚えているのは坊屋三郎さんとか……。

神津: ええ。いい時代でしたね。

樋口: スタート取るのに朝5時半から並んで、竹の筒が半分に切ってあって、そこに名前を書いたボールを置いていくんですよ。ね?

神津: そうですね。バッグを順番に置いていたこともありますよ。食堂でご飯食べてると順番を入れ替えられちゃったりして(笑)。

樋口: 東宝の俳優さんはみなさん来てましたね。

神津: 撮影所でやる打ち合わせを砧の食堂でやってました。昼飯を食べに行ったりね。

中村寅吉さんに教わったこと

神津: 僕はね、寅さんに仲良くしてもらえて、ゴルフをよく教えてもらってました。

樋口: ええ、ええ。中村先生は教えるの好きでしたからね。

神津: 僕は教えてもらうと大体ダメになるんです(笑)。

樋口: すぐにはよくならないんですよ。先生に教わったことをずっと頭に入れながら練習しているとだんだん良くなっていく。あ、こういうこと言っていたんだなって、後でよくわかるんです。

神津: 「あんたにそんなもん教えたってダメだ」って言われましたね。「そうですか」って返すと「そうですかって言うなよ」って(笑)。

樋口: 先生は口は悪いけどすごく先々を考えて教えてくださるんです。

神津: いい人でしたよ、とっても。でも、当時のプロの苦労は本当にえらいなと思いますよ。

キーワード
【砧ゴルフ場】
1955年東京都砧ゴルフ場として9ホールで開場。1966年閉鎖され現在は都立砧公園となっている。

【中村寅吉プロ】
1915年〜2008年。1957年霞ヶ関CCで開催のカナダカップに優勝しゴルフブームを巻き起こした。砧ゴルフ場所属だった。

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神津氏が語るように、当時のプロの世界は想像を絶する厳しさでした。では、そんな時代に、なぜ一人の女子高生が伝説のトッププロ・中村寅吉から直接指導を受け、世界を制するまでの選手になれたのでしょうか?

【後編】では、現在の華やかな女子ツアーからは想像もつかない、驚愕の裏話が次々と飛び出します。

「プロと回るなんて嫌だわ」——女子プロの地位が低く、アマチュアから冷遇されたどん底の時代。そこからいかにして這い上がったのか?
スウェイの誤解——代名詞とも言えるあの独特なスウィング。実は「スウェイしている」という世間の分析は“完全な間違い”だった! 本人の口から明かされる、誰も真似できない身体操作の秘密とは。
スカート着用第1号の真実——「女はプレーが遅いからズボンを穿け」と言われていた日本ゴルフ界に、革命を起こした全米プロでのある出来事。

逆風の中で日本の女子ゴルフ史を切り拓き、今なお週2回のラウンドをこなす樋口久子プロ。その誇り高きプロ意識と、歴史の生き証人だけが知る“伝説の続き”は、ぜひ後編でお楽しみください。日本のゴルフファンなら、絶対に読んでおくべき貴重な証言です。

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文/小川淳子
写真/三木崇徳

週刊ゴルフダイジェスト3月24日号「神津善行のゴルフ桟敷【特別編】日本の女子ツアー、そっとのぞいてみてますよ」より一部抜粋


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