宮崎県出身の黒木紀至は全国的人気の宮崎餃子発祥の高鍋町出身で実家は餃子屋を営んでいる。昨年は賞金ランキング69位と、あと一歩のところでシード権を獲得することができなかった。今シーズンはACNツアーが主戦場で再びレギュラーツアーを目指す形になるが、数多くの経験と確かな自信を手にした昨シーズンをステップに、さらなる高みを目指す。
画像: 黒木紀至‐Noriyuki KUROGI 1993年生まれの32歳、宮崎県出身。

黒木紀至‐Noriyuki KUROGI 1993年生まれの32歳、宮崎県出身。

GD 昨年はあと一歩でシード獲得ならずでしたが、振り返ってみていかがでしたか?

黒木 去年は1年間長かったなと感じましたけど、1年通して試合に出られて学んだことはたくさんあります。それを活かして今年はやりたいと思っています。成績ではシードは獲れませんでしたが、自信という意味ではこれくらいまでやれるんだという感触はつかめました。

GD ゴルフを始めたきっかけは?

黒木 父親がやっていたのと近くに練習場があったというのがゴルフに触れたきっかけですが、最初は子供の遊びでしたよね。練習場のおじちゃんたちに遊んでもらうのが楽しくてって感じだったと思います。

GD 子供の頃は他にスポーツはやっていたんですか?

黒木 小学校の時はスイミングスクールに通っていましたし、ラグビーにサッカーもやっていました。中学はサッカー部でした。でもゴルフも並行してやっていましたね。部活が終わってから練習場に行って球を打って、という感じでハードでした(笑)。

GD 徐々にゴルフにハマっていった感じですか?

黒木 そうですね。中学に入った時に部活を選ぶときに友達は大体野球かサッカーだったんです。それで親父に相談したら『野球はスウィングが崩れやすい』と言われて。サッカーなら体力もつくし、ゴルフに役立つと親父も考えていたんだと思います。それで高校はゴルフをするために日章学園に行きました。その頃にはプロになりたいとは思っていましたね。実際に進路を決める頃にプロになる決断はしました。

GD 大学へは行かなかったんですよね。

黒木 高校を卒業してUMKカントリークラブに研修生として入りました。1年目はサポートしてくれる人がいたのでアジアのQTを受けに行きましたが、基本的にお金が無かったので日本のプロテストは受けませんでした。その後も、試合やプロテストに出るお金はコースの親会社のテレビ局に借りる形で、借用書を書いて出場していました。借りてはミニツアーなどで稼いで返す、という生活でしたね。そして2016年にプロテストへ合格し、新人戦で優勝したときの賞金で全て返済したんです。

GD 藤田寛之プロに師事していますがきっかけを教えてください。

黒木 もともとウェアの契約メーカーが同じで、プロが集まった時にたまたまお話しさせてもらったのが最初です。そのときに藤田さんから「宮崎に合宿行くから一緒に回ろうよ」と言われていたので、そのタイミングで「教えてください」とお願いしました。

GD 自分の中でかなり変化はありましたか?

黒木 そうですね。それまで球筋もドローだったのをフェードに変えて、いろんな変化を感じています。去年もレギュラーツアーに1年間通して戦えましたし、手応えは感じています。

GD 最も大きな変化(進化)は球筋ですか?

黒木 一番学んだことはコースマネジメントですね。藤田さんに教えてもらうまでは常にピンデッドでした。「届かないと入らないでしょ」って思っていたので。そうしたら藤田さんが「流石にマネジメントしたほうがいいんじゃないの」って半分呆れた感じで言われて。ゴルフって手前から攻めるって本当なんだなと思いました。

GD でもずっとピン狙いのスタイルでプロテストは通ったってことですよね?

黒木 はい。

GD 漫画みたいなゴルフで通るものなんですね。ある意味すごいですよ(笑)。改めて今年の目標を聞かせてください。

黒木 今年は優勝を目指すことはもちろんですが裏シードを獲って、またツアーに戻りたいですね。1回でもレギュラーツアーに行くとやっぱりあそこで戦いたいっていう気持ちが強くなりました。

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年齢的にも30歳を超えて正念場となる年齢に差し掛かってきた。ただ、去年得た自信はこれまでやってきたこと、藤田プロに師事して学んだことへの自信の裏付けになったことは間違いない。一昨年に女子プロの山村彩恵さんと結婚し、昨年には長女も誕生。頑張れる要素が黒木の活躍を後押しする。

文/出島正登
写真/姉崎正

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