「ゴルフは3番手」消去法で選んだ孤独なスポーツ
質疑応答の場で、記者から子供の頃のスポーツについて問われたニクラスの口から、誰もが耳を疑うような衝撃の事実が飛び出した。
「私のベストスポーツは間違いなく野球だったね。2番目がバスケットボールで、ゴルフはたぶん3番目か4番目くらいだったよ」
ゴルフ史上最高のプレーヤーの口から語られた「ゴルフは3番手以下」という告白に、会場はどよめいた。では、なぜ彼はゴルフの道を選んだのか。その理由は極めて現実的であり、彼らしい合理性に満ちたものだった。

ジャック・ニクラス(写真は2026年のマスターズ)
「野球をやるには、真夏の砂埃が舞う公園で、他の10人や12人のチームメイトが集まるのを待たなければならない。でも、彼らはなかなか現れないんだ。一方でゴルフなら、朝8時に一人でゴルフ場へ行き、暗くなるまで一日中没頭できる。要するに、消去法(プロセス・オブ・エリミネーション)で残ったのがゴルフだったというわけさ」
「消去法」で選んだ孤独なスポーツのなかで、彼は自らの圧倒的な才能を開花させていくことになる。さらに、この「消去法」で選んだゴルフと並行して他のスポーツにも取り組んでいたことが、結果的に彼にもうひとつの奇跡をもたらした。
「私はゴルフのキャリアを通じて、一度も怪我(ゴルフによる故障)をしたことがない。それは、他のスポーツもやって体全体を使っていたからだ。だから君たちも、ゴルフだけに集中しすぎるのではなく、他の運動もして体を鍛えなさい」と、前人未到の記録を支えた強靭な肉体の秘密を語った。
初任給は33ドル。若きマキロイに説いた「忍耐」の重要性
そして話題は、若者たちがこれから直面するプロの世界への不安へと移った。「プロ生活を始めるにあたってのアドバイスは?」という質問に対し、ニクラスは自身の「初任給」のエピソードを持ち出した。
「私がプロ転向して初めて手にした賞金は、1962年の大会で稼いだ『33ドル(約50位タイ)』だった。最下位の賞金100ドルを、3人で分け合ったんだよ。その時の小切手? もちろん換金せずに、今も私の博物館に飾ってあるよ(笑)」
ニクラスはこの笑い話を披露した直後、若者たちの目を見てこう続けた。
「だが、その次の試合では440ドル、次は350ドル、256ドル、250ドルと稼いで、その次の試合で2位になった。自分が何をしているか正確に理解していたし、それを待つだけの忍耐力(ペイシェンス)があったんだ」
最初からすべてを上手くやろうと焦る必要はない。勝つためには「忍耐」が必要であり、敗北から学び、自分が何者であるかを理解する時間が必要なのだと諭した。
さらにニクラスは、現代のトッププロの例を挙げてこの「忍耐」の重要性を説く。
「ローリー(・マキロイ)が19歳の時、私のところへ来て『最後の9ホールをうまくフィニッシュできない』と相談してきた。私は『ローリー、君はまだ19歳だ。自分に忍耐強く、リラックスして楽しみなさい。無理をするな』とアドバイスした。すると約3週間後、彼はシャーロットの大会で63を叩き出して8〜9打差で圧勝したんだ。私は彼に『忍耐強くとは言ったが、これはやりすぎだ』と手紙を送ったよ(笑)」
受賞者たちとほぼ同年代だったマキロイもまた、ニクラスの言葉に救われていたという事実は、彼らにとって最も胸に響く実例となったはずだ。
「ショートゲームは練習できなかった」帝王が語る強みの磨き方
最後に帝王は、ゴルファーとして最も重要な「弱点との向き合い方」について、自らの生々しい肉体の秘密を明かして教訓を与えた。
「プロの世界では『自分の苦手なことを練習しろ』とよく言われる。だが、自分にできないことを無理にやろうとしてはいけない。実は私は19歳になるまでに、背中に9回も注射を打つほどの深刻な怪我を抱えていた。背中が痛くて、ショートゲームの練習など全くできなかったんだ」
天才と謳われたニクラスにも、致命的な弱点があった。しかし、彼はそれを嘆くことはしなかった。
「ショートゲームの練習ができないなら、ロングゲーム(ショット)とパッティングを誰よりも極めるしかないと腹を括った。それが私の『強み』になったんだ。君たちも、自分の強みが何なのかを見極め、そこを徹底的に磨き上げなさい」
弱点を受け入れ、圧倒的な強みでそれを補う。これこそが、メジャー18勝という前人未到の記録を打ち立てた帝王の真髄である。
「初任給は33ドル」「得意なのは野球」「ショートゲームは練習できなかった」。86歳のレジェンドが明かした不完全な自らの姿と忍耐の教訓は、重圧と不安を抱える未来のスターたちにとって、どんなスウィング理論よりも価値のある、温かく力強い「金言」として彼らの心に深く刻まれたことだろう。
撮影/岩本芳弘
